メリーラ

"小説"  著作者:天羽 沙雪      オンライン小説SNSへ


[あらすじ]
舞台は、緑の島ブルーリバーアイランドにある、ラトゥーンフィールドという小さな町。メリーラはこの町で生まれ育ち、現在14歳。ロマンチストの父、現実家の母、妹のローラ、柔和なスウィーばあや、子猫のプラムガールとともに、"藍露荘(あいろそう)"と名づけた家に住んでいます。
親友のルーフェを始めとするたくさんの友達に恵まれたメリーラは、緑の風のようにさわやかに成長していきます。そよ風を浴びているときのような心地よさと、甘い花の香りを吸い込んだときのような幸福感をお届けしたくて、創り上げた物語です。
あなたの青春時代の胸のときめきが、メリーラの世界の中によみがえりますように‥‥
メリーラ
 13歳の誕生日を迎えた少女、メリーラ・サラ・ルサフォードは、青いよそゆきの服を着て、若葉に萌える6月のポプラ並木を馬車に揺られて、通り過ぎていた。初夏のポプラは下から見上げると、星が無数に集まって光をこぼしているように見える。金や銀の光が、ポプラの丸い葉の奥深くにひそんでいた。くもり空の時は、まぶしい光に変わって渦を巻く黒い風が、重たそうに木をとりまく。しかし今は、見たところポプラは元気で、緑の鈴のようだった。ポプラの長い並木道を抜けると、美しいルサフォード邸が、木々の間にちらちらと見えてくる。馬車は、緩やかなカーブを右に折れたところで、止まった。メリーラは馬車から降り、懐かしの我が家との再会を喜んだ。
  メリーラは5月の休暇を利用して1ヶ月間“海辺の家”で滞在し、6月初めの今日、帰ってきたのだった。玄関の扉を思いきり力を入れて押し開けると、家中に響く大声で、メリーラは皆の名を呼んだ。
「お母さん!ローラ!おばあちゃん!プラムガール!ただいま、帰ったわ!」
  呼ばれた者皆が、玄関に集まった。子猫のプラムガールはメリーラの祖母、スウィーばあやが抱いてきた。ばあやがメリーラの荷物を抱え込んで、言った。
「重かったろう、メリー?あんたの部屋に置いとくからね、とりあえず。さ、こっち来て何かお食べ。苺をつぶしてケーキを作っておいたから、少し休んだら台所においで。一緒に食べようよ。」
  その日は疲れなど感じず、メリーラは最もしあわせな、気持ちの良い眠りを味わった。今日の“出会い”は家族との再会。けれど、もっと素敵な出会いが、メリーラを待ち受けているのだった。

 メリーラの部屋の窓は朝日がさしこむ東向きなので、今日も光をまぶたに感じて目が覚めた。海辺の家では海へ沈む夕日ばかり眺めていたから、久しぶりに眺める朝日は懐かしく、心地良かった。これは、朝日との再会。

 地図には載っていない、メリーラの住む小さな小さな島、ブルーリバーアイランド。別名は「ライラックの島」であるほど、島はライラックであふれている。この島に住む住民は皆、勉学にはあまり重点をおいていない。それゆえ、メリーラの通う学校でも、6月は雨のため休暇となっている。5月、6月は休暇で、あとは8月の夏期休暇、12月と1月の冬期休暇、3月の春の休暇などがあり、残りの月はもちろん学校へ行くのだが、いつもほとんど同じ授業の繰り返しなので、行くのも行かないのも個人の自由だ。
  メリーラは起きて服を着ると、うっすらとしたピンクの朝もやの中を、正午近くまで散歩することに決めた。手には、スウィーばあやの手作りの朝食をつめたバスケットをさげていた。スウィーばあやはいつもメリーラには親切で、優しかった。メリーラもまた、ばあやの手伝いをするのが好きだった。
  森への道は、朝もやがひどくて見通しが悪いのでやめ、反対の丘の方へ、足を向けた。居心地のよさそうな小山を見つけ、草の上に座って、ひざの上にバスケットの中のサンドイッチを取り出した。メリーラの好きなすもものジャムや、卵、ハチミツのサンドイッチも入っていた。さくら色の魔法瓶には、冷たいミルクがたっぷり入っているし、大きなつるんとしたナッツやアーモンドも、少し入っていた。スウィーばあやがとてもたくさんつめてくれていたので一度には食べきれず、半分以上残して、湖の方へ移動した。ブルーリバーアイランドの人たちの間で“アイリスの水がめ”と呼ばれているこの湖は、青く静かな水をたたえ、周囲には清らかなアイリスの花が咲き乱れていた。うすもやの効果で、いつになく神秘的な魅力を帯びていた。ぼんやりしていたせいか、ふと後ろから声をかけられて振り向いた時も、メリーラはあまり驚かなかった。まるで夢の中にいるようだった。声は、メリーラを初めて呼んだとき、こう言った。
「妖精さん?」
  振り向くと、同い年ぐらいの少女が、にっこり笑ってこちらを見ていた。思わずメリーラの口から飛び出した言葉は、滑稽でもあり、ロマンチックでもあった。
「なあに?もうひとりの妖精さん。」
  こんな対話の後では、何を言っても似つかわしくないように思えた。二人はそれをよく分かっていて、湖を眺めながらしばらく沈黙した。落ち着かない沈黙ではなく、むしろ、幸福感を含んだ静けさだった。先ほどの対話の記憶が薄れてきた頃、ようやくメリーラから口を開いた。
「あなたも、朝のお散歩?」
  メリーラの問いかけに答えるまで、その少女は少し間を取ったが、その顔は喜びにあふれていた。
「そうよ。私はルーフェ。正確に言うと、ルーフェ・ローザ・レイン。でも、ルーでいいわ、そう呼んで。あなたは?妖精さん。」
「あたしは妖精じゃないわ。羽根がないし、空も飛べないわ。ただ、空を飛ぶ夢をたくさん見るわ。楽しいのよ、泳ぐような感じで進んでゆくの。あたしの名前は、メリーラ・サラ・ルサフォード。あなたの名前ほど、素敵な響きじゃないけれど。あたしを呼ぶときは‥‥そうね、メリーか、リーラか、縮めてリラか、サラでもいいのよ。好きな風に呼んでちょうだい。ルー、あなたはまるでスミレみたいね。雰囲気が優しくて、上品な感じだもの。いつもそういう、淡い赤スミレ色の服を着てるの?」
「いやね、今日だけよ。」
「でも、どうして?よそゆきの服みたいな光沢だわ。とっておきの服じゃないの?」
  また、数秒沈黙しているルー。
「何か‥‥特別なことが起こるっていう気がしたの。今朝起きた瞬間に。頭の中に光が走ったように、ひらめいたのよ。大げさかもしれないけど、今日は運命の日だわ。」
  メリーラはうなずいて、同意を示した。
「なぜ、さっきからあなたに自然に接しているのか、不思議だったの。あなたのこと、前からの友達みたいに感じるわ。すごく不思議なことね?お願い、お昼までここで一緒におしゃべりしない?もやも晴れたし、森へ行ってもいいわ。あたし達、仲良しになりましょうよ。」
「私もそうしたいわ、メリー。」
  二人はまず、海へと足を向けた。オランダガラシで縁取られた小川を伝って歩いて行くと、海が見えてくる。潮風にたなびくルーの金髪は、なんてさらさらして気持ち良いのだろうと、メリーラは思った。私もあんな髪だったらいいのに。メリーラの髪は、とび色に似た栗色だった。しかし朝のほのかな陽光が海から反射して、メリーラの髪をとてもみずみずしく、つややかに輝かせていた。
「座りましょう。」
  二人は昼顔の群生する砂浜に、腰をおろした。そして、昼顔が花開く正午近くまで、とりつかれたようにおしゃべりして過ごし、お互いの住所を言い合って、別れた。
  これが、今日最も大事な出会い、親友となるルーフェ・ローザ・レインとの出会いだった。メリーラは後々まで、この日の朝の散歩のことを忘れなかった。

 メリーラの住むラトゥーンフィールドでは毎年、何かしらパーティーが催されていた。今年は、5月の集会に各家庭の代表が意見を出し合って決めた通り、“プレゼント・パーティー”を開くことになった。その内容は、一番大切に想う友人一人にプレゼントを用意し、パーティーの日に贈るというもの。メリーラは、父ルークからこの話を聞いて以来、パーティーの日が来るのを待ちわびていた。パーティー当日は申し分のない上天気で、家の中にいるよりも、外に出てそよ風に吹かれている方が心地よく感じるくらいの陽気だった。メリーラは、教えてもらった住所を訪ねてルーフェを誘い、パーティー会場である集会場へと向かった。
  メリーラは最初、薄紫のシフォンワンピースを着ていくつもりだったが、ルーフェが同系色の服を着てくるような予感がしたため、クリーム色のワンピースで、淡いグリーンのサッシュベルトがついている服に変えた。ルーフェに会った時、驚いたことに彼女は予想通り紫の服を着ていた。初めて彼女に会った時に「スミレみたい」と感じたのは、おそらくルーフェ自身が紫色の衣服を身に着けていることが多いからなのだろう。野に咲く花のように無邪気で純粋な二人は、生命力にあふれ生き生きとしていた。
  パーティー参加者の約束事として、1人1本、どんなものでもいいからロウソクを持ち寄ることになっていた。それは会場を幻想的な雰囲気にするためで、薄暗い夕闇の中、ロウソクに火を灯しだすと、親密でほのぼのとした空間に変わった。
  村の皆が集まり、牧師さんの静粛なお祈りと、代表者によるパーティーの説明が終わると、合図のベルが鳴った。これをきっかけに、一同はぞろぞろと庭へ出た。集会場の庭はとても広く、昨年のガーデンパーティーの時もここで、地域の住民たちが共に楽しいひとときを過ごしたのだった。
  再びベルが鳴ったのを合図に、めいめい自分がプレゼントを渡す相手を探して歩き始めた。メリーラは横にいたルーフェに、決まり文句とともにプレゼントを差し出した。
「『私の大切な、良き友へ。』ルー、これからもよろしくね。」
  ルーフェが受け取ったのは、アメジスト色のリボンで飾られた、インクのたっぷり入りそうな万年筆だった。リボンには、首をたれた愛らしいスズランが結わえてあった。
「ありがとう、メリー。これは、私からよ。『私の大切な、良き友へ。』」

「来て!」ルーフェが叫んだ。
行ってみると、彼女は大きな穴の中をのぞきこんでいた。
「ここは、何?」
と言いながら、メリーラには何となく分かった。その穴は入り口で、そこから奥へとずっと続いているようだ。これは、洞窟だ。
「私たち、この丘へはよく来るけど、こんな場所があるなんて知らなかったわね。結構暗いけど、メリー、一緒に中へ入って見ましょうよ。」
  二人はおっかなびっくり、明るい世界に背を向けて、闇の洞窟へ足を踏み入れた。どこか奥の方から、水の細い流れが外へと続いていた。あたりが薄暗いので、その澄んだ水もガソリンのような紫紺に見えた。けれどメリーラは、この小川に、魔力を秘めた美しさを感じていた。足元は土ばかりで草はなかったが、ところどころ光の差し込む所があり、そこだけ灰緑色の苔が生えていた。さらに奥へ進んで行くと行き止まりになっていて、そこには湧き出る泉があった。どこからかもれさす光を浴びて、不思議な色にきらめく泉が。細い水の流れはここから始まっていたのだ。
「見て‥‥きれいねえ。」
メリーラは感嘆のため息をついた。
 二人は、部屋のように円くなっているこの空間を見回した。ほの暗い中で、泉になみなみとあふれる水だけが、輝いていた。メリーラはふと、思いついた。
「ロウソクを持って来ましょうよ。この空間を囲むように並べて灯せば、きっと明るくなって素敵よ。」
「でも‥‥それには結構な数のロウソクがいるんじゃない?どうするの?」
「もちろん、うちから持って来るのよ。あなたの家にも、ロウソクはあるでしょう?持って来られるだけでいいわ。うちに、確かたくさんあったもの。じゃあ、そうね‥10分後にこの丘の前で待ち合わせしましょう。」
「なぜ丘の前なの?洞窟の中で待ち合わせたらいいじゃない?」
 メリーラは肩をすくめてみせた。
「あら、そうしたら、通りがかった人にもし見られたら、この洞窟のありかがばれちゃうわ。こんなに素敵なところだもの、他の人には内緒にしましょうよ。私たち二人だけの秘密ね。」
「いいわ、じゃあ、10分後に。」
 二人は大急ぎで家に戻り、ありったけのロウソクを持ってきた。辺りを警戒しながら洞窟へ入り、再び泉のところへ戻り、周りにロウソクを並べ始めた。
「あなた、スミレ色が好きなの?これ、みんなあなたのでしょう?」
 ルーフェが持ってきたロウソクは大概、紫色なので、メリーラは目を丸くした。
「ええ、私、スミレ色も、スミレの花も香りも大好きよ。妖精の似合う、魅力的な花ですもの。」
 一通りロウソクを並べ終えた頃、二人のうちどちらも、マッチを持ってくるのを忘れてきたことに気がついた。ルーフェは慌てて、
「もう一度取りに帰るのはいやだわ‥‥私、めんどくさがりやなんだから。明かりをつけるのは、今度の楽しみにとっておきましょうよ。」
「ええ、かまわないわ。」
 メリーラは辺りを見回し、無造作に散らばった石を取り除こうと、思いついた。
「ルー、石を集めて外へ出しましょう。大きい石は残しておいて、あとで椅子代わりにするの。小石だけ運び出しましょう。」
 そして、どんな小さな石も、二人の手できれいに取り除かれたのだった。
「さて、次は‥‥」
 メリーラの頭の中に、どんどん想像がふくらんできた。
「敷物がいるわね、毛布みたいにふかふかの。椅子用の石には厚い布を巻いて、クッションを置けば気持ちよく座れるわ。それから、予備のロウソクとマッチ箱と、それに薄い大きな布も2枚。掛け布団にして、ここで眠れるわ。」
 二人は協力して、その通りの部屋を作り上げた。めんどくさがりやのルーフェでさえ、メリーラの熱意には負けたようだ。いよいよロウソクに火を灯すと、家の中のように居心地のいい場所になった。柔らかな敷物のおかげで服を汚さずに済むし、石に座ればクッションが背もたれになった。
「今日はもう帰りましょう。この秘密の洞窟には、泉があるから素敵ね。想像してみてよ、部屋の中央に泉があって、小川が流れているなんて、普通じゃあり得ないことよ。ルーフェ・ローザ、ここは絶対に二人だけの秘密ね。話したい人がいる時は、あたしに教えて。あたしもそうするから。約束よ。」
「約束するわ。」
 洞窟の、秘密の部屋の泉を、メリーラは“魔法の泉”としていつも考えた。いつでも清らかな水をたたえており、その神秘的な色が絶えず変化するからだった。晴れた日は、琥珀のような黄金色に、雨の日はサファイア・ブルーに。そんな時は、水の底から放たれる魔力に吸い込まれそうなほど、泉が深く見えた。二人は度々ここを訪れ、掃除をしたり模様替えをしたりして、長い時間すごした。森や湖へ遊びに行くよりも、この隠れ家を二人は好んだ。

 もくもくと、わた雲が浮かぶ青い空。真っ白な野の花が群れて咲く土手の上を、ルサフォード家の紋のついた首輪をした子猫が、ピンクのシロツメ草をくわえて歩いていた。少し離れたところに、このピンクのシロツメ草に覆われた野原があり、この白い子猫はそこから来たのだった。猫の後方からのんびりと、メリーラが歩いてきた。メリーラに続いて、距離をおいてルーフェも。猫が足を止めて座り込んだので、メリーラは猫のそばに来て座り、ルーフェはメリーラの隣りに来て座った。わた雲は散らばってジグソーパズルのように切れ切れになり、それらがうぐいす色の川面に映って、さざ波とともに揺れていた。風はなま暖かく、のんびりと歩いてきた一匹と二人は、うららかな午後のひとときを楽しんでいた。
  遠くに青くかすむ丘の方へ目をやりながら、メリーラは子猫に声をかけた。
「プラムガールちゃん、おうちへ帰ろうと思わない?お茶の時間だから、おばあちゃんがミルクを飲ませようと、あなたを探してるわ、きっと。」
  知らんぷりを決めこんだプラムガールを抱き上げ、その目をのぞきこんだ。
「聞いてるの?いい子だから、一緒にうちへ帰ろうね。ミルクは大好きでしょ?プラムちゃん、降りてちょうだい‥‥こら!」 
  軽く爪を立ててプラムガールはメリーラの服にしがみつき、抵抗の意を示していた。
「いいわ、このまま連れて帰っちゃうから。」
  微笑みながら、歩き出す。メリーラは柔らかな毛並みの、美しい子猫が大好きだった。なでてやったり、ミルクを与えるときに幸福を感じた。ただし、子猫に限った。体の大きな大人の猫は気品があるけれど、抱いたりなでたりするのには大きすぎた。メリーラが子猫を見つめるときの優しげな眼差しは、はしゃぎまわるメリーラを見ている時の、スウィーばあやの目つきにそっくりだった。
「あなたもうちへいらっしゃいな。おばあちゃんが、メロンを使ったフルーツ・タルトを用意してくれてるの。いつものお茶の時間には、たいていロールケーキが出るんだけど、今日は特別。どうしてだかわかる?あたし、今日ルーを連れて来るからって、おばあちゃんにおいしいお菓子を頼んでおいたの。紅茶も、おばあちゃん自慢のコレクションの中から、自由に選べるのよ。ねえ、来てちょうだいよ、それともあなたはおうちでお茶にする?後でまた、会いましょうか。」 
  ルーフェはちょっと悩んで、
「あなたのおうちへ呼ばれるわ。なるべくおしとやかにふるまうから安心してね、メリー」
と、いたずらっぽく笑ってみせた。
 二人がお茶の席についた時、プラムガールはお気に入りのクッションから身を乗り出して、甘いミルクを夢中でなめていた。メリーラとルーフェは向かい合って座り、ルーフェはローズ・ティーを、メリーラはいつも愛飲しているストロベリー・ティーをカップに注いでもらった。スウィーばあやが切り分けてくれたメロンのフルーツ・タルトは、舌がとろけそうなほどおいしくて、さっぱりしていた。
お茶の後二人はメリーラの部屋に上がり、しばらく読書したり、絵を描いたりして過ごしたが、夕方の太陽があまりにもきれいなので、誘われるように外へ出た。その足で、もう当たり前のことのように丘へ向かい、裏へ回って小川伝いに、洞窟へ遊びに行った。少し遅れて歩いていたメリーラは、前方でルーフェの悲鳴を聞いた。お化けでも出たかと、驚いてかけつけると、そんなものではなかった。目の前の光景はにわかには信じがたく、雷に打たれたかのような衝撃であった。大きな失望に打ちのめされながら、二人は洞窟の狭い入り口をのぞきこんだ。こんなにひどいことってあるかしら!堂々とした態度で、しかも勝ち誇ったような顔で、苦心して作った石の椅子の上に座っていたのは‥‥バーバラだった!ケシーもいたが、目に入らなかった。バーバラはこちらに気がつき、せせら笑った。
「いい場所でしょう?私が見つけたのよ。ここは、私たちだけのお城にしようって、話してたとこよ。見て、ほら、いいものがこんなにも揃ってるの。まるで私たちが来るのを待ってたみたいに‥‥」
 冗談ではない。メリーラもルーフェも、これを聞いて平静ではいられなかった。けれど、バーバラは何も知らないでここにいるのだから、と思い直し、憤慨を抑えて冷ややかに説明した。
「バーバラ、最初にこの場所を見つけたのはね、ルーとあたしなの。中にあるものはみんな、今あなたがもたれているそのクッションも、あたし達が用意したものなのよ。喜んでるところを悪いんだけど、ここはあたし達二人の砦なの。だから‥‥良かったら、どこか他で遊んでくれない?」
 ルーフェもうなずいて同意を示した。だが、バーバラは笑い飛ばしただけだった。
「なあに、あなた達?この場所を一番に見つけたのが私なもんで、ねたんでいるのね!あんまりいい場所だから、横取りしようと思ってそんな話を作り上げたのね。だめよ、そんな見えすいた嘘をついたって。悪いわね、よそで遊んでもらうのはあなた達の方よ。さあ、どうぞ、出て行ってちょうだい!」
 二人は凍りついて動けなかった。バーバラの思い込みは甚だしかった。いくら説明しても、出て行ってくれそうにない。メリーラとルーフェは目配せしあってうなずくと、洞窟内部へ入り、バーバラの腕や服をつかんで、引っ張り出そうとした。けれど、うまくいかなかった。バーバラの体をケシーがしっかり押さえていたし、バーバラがすさまじい勢いで暴れるのだ。疲れ果てたメリーラは叫んだ。
「ひどいわ!あなたの勘違いには呆れてものが言えないわ!真実はたった一つよ、ルーとあたしが、この洞窟の第一発見者だってこと。あなたが信じようと信じまいとね。いい加減に認めないと怒るわよ!あたし達が先にここへ来ていなかったら、こんな敷物やクッションやロウソクが、あるわけないじゃないの!さあ、これが証拠だわ、早く出て行って!」
 しかしわがままに育てられたバーバラが、そう素直に言うことを聞くわけがなかった。それどころか、反論さえしてきたのだ。
「もしこれらのものすべて、私たちが持ってきたものだと言ったら?こっちにも証拠があるってことになるわよね。どうなの?」
 横でケシーが小さく相づちをうっている。
「あのねえ、バーバラ‥‥」
と、ルーフェは静かに言ったのだが、声には抑えられた怒気がこもっていた。あのもの静かで、穏やかなルーフェが、怒っている!
「頭が変なんじゃないの?私の記憶には、ここへ荷物を運んだ覚えがあるわ、メリーにもよ。あなた達の頭にはないはずの記憶がね‥‥まだ、分からないの!?」その声は、いよいよすごみを増してきた。
「出て行かないなら、ひっぱたくわよ!!」

 たとえどんなにルーフェが力持ちでも、どんなにメリーラが説得上手でも、バーバラ相手ではお話にならなかった。ついに二人は途方にくれて、洞窟の外へ出た。
「ねえ、あきらめましょう。」ルーフェがため息をついた。
「言葉が通じないんですもの。常識がないのよ」
  メリーラは、あきらめきれなかった。
「だめよ、ここは大切な、二人だけの秘密の洞窟よ。きっとあるわ‥‥何かいい方法が。まあとにかく、小川へ行って裸足になりましょうよ。興奮したせいで、暑いわ。」

  二人は木陰のひんやりした小川に足を沈め、少し清々した気持ちになった。
「一度、家に帰りましょう。のどが渇いてきたわ。メリー、今度はうちへいらっしゃいよ。おばあさまのタルトみたいなものはないけど、おいしいライム・ジュースがあるわ。」
  ルーフェの家に向かいながらも、二人はバーバラへの仕返しのことを考えていた。庭のベンチに腰掛け、ライム・ジュースを飲みながらも、いろいろな不安が頭をよぎった。洞窟の中の敷物やクッションを汚されないか‥ロウソクが減りはしないか‥。頭上の小枝では小鳥が明るくさえずり、満開のライラックは新鮮な香りをまき散らしている。流れ行く雲は、散歩のときのジグソー・パズルのような形が薄らいで、煙のように漂い始めていた。
  庭に放たれているひよこ達が、ルーフェの足元に集まってきた。その時、ずっとうつむいていたメリーラは不意に顔を上げ、
「いいことを思いついたわ!」
と叫んで快活に立ち上がった。目は輝き、頬は紅潮していた。
「バーバラはまだ洞窟にいるかしら。せっかく涼しくなったところを悪いんだけど、走りましょう。いいえ、やっぱり歩いて行きましょう。十分間に合うと思うわ。それに、あたし達が戻って来たと、感づかせてはいけないわ。」
「それはいいけど、何をするの?」
  ルーフェは胸がどきどきした。メリーラの思いつくことは、たいてい愉快で楽しいから。
「歩きながら話すわ。ただし、洞窟が近づいてきたら小声でね。あのね‥‥」
  小川に沿って洞窟に向かう頃には、ルーフェはすべてを理解し、つつがなく今回の作戦を成功させる手順を思案していた。 まずメリーラが洞窟の横の岩陰から忍び足で入り口へ近づき、そっと中の様子をうかがった。運のいいことに、バーバラもケシーも、クッションに頭をのせて眠っていた。小声で合図をする。
「来て、ルー。二人とも夢の中よ。実行するなら、今のうち。それより、見てよあれ!土足で私たちの敷物を踏んでるわ!私たちの、神聖な場所を‥‥。特にバーバラの周りが、ひどく汚れてるわ。」
「あれはきっと、わざと汚されたのよ。あの子、この洞窟があんたと私のだって、分かってるはずだもの。口ではとぼけてるけどね!」
「その通りだと思うわ。さあ、ルー、二人が目を覚まさないうちに‥‥」
  二人は近くの材木置場から、なるべく厚くて大きな板を何枚も運んできて、洞窟の近くに重ねておいた。さらに協力して、太い四角柱を3本持ってきた。ここからが本番だ。厚い大きな板は、洞窟の狭い入り口をふさぐようにして無理矢理押し込み、余った板は立てかけて置いた。中の二人が目を覚ました様子はなかった。次に太い四角柱を縦に2本、カバの口につっかい棒をするみたいに入れ込み、残る1本は横にして、これも力ずくで何とかはめた。この作業の間は没頭していたが、準備が完了すると、不意にかわいそうになってきた。こんな、丘の裏側へは滅多に誰も来ないし、こうして二人を閉じ込めたことは、自分たちしか知らない。もし板が外れなくて、バーバラたちがけっても体当たりしても出られなくなったら、どうしよう。不安を口にすると、ルーフェはこう言った。
「確かに、そのへんのことはちょっと心配だけど、最後にはどうにかなるわよ。さっきの悔しさを忘れたの?メリー、私たちの大事な秘密の場所が汚されたのよ。罰を受けるのは当然だわ。ここから追い出すのは、自分の家に勝手に上がりこんできた強盗を追い出すのと少しも変わらないわ。許されないことをしたのよ。」

 中から声が響いてきたので、バーバラ達が目を覚ましたらしいことが分かった。おそらく目覚めて、辺りが変に薄暗いので、異変に気づいたのだろう。
「出して!」と叫ぶくぐもった声が、洞窟の、厚い板でふさがれた入り口辺りから聞こえてきた。しばらくの間、外へ出ようと中から板をけったり、たたいたりする鈍い音がしていたが、板が壊れる様子はなかった。万が一けり破って飛び出してきたら、怒り狂ったバーバラに、何をされるか分からない。板の頑丈さは、安心をもたらした。
  やがて、何の物音もしなくなった。静けさが流れてゆく。
「どうしたのかしら。」メリーラにまた、不安の波が押し寄せた。
「まさか、酸素不足で倒れているんじゃないでしょうね。」
  だが、すぐに不安の波は引いた。洞窟の奥のほうの土壁に、わずかにひびが入ったかと思うと、その部分が盛り上がり、穴が開き、周りの土を巻き込んで崩れ始めたのだ。穴はさらに広がり、砂ぼこりを上げてぼろぼろに崩れ、とうとう巨大な空洞になった。と思うと、そこから人の手が見え、腕が現れ、四つんばいになったバーバラがはい出てきた。頭から泥をかぶり、高価そうなフリルだらけのドレスは砂色に変わり、無残な姿だった。

木の板をたたいた時、木のとげにでも引っ掛けたのか、ところどころ、服の糸がほつれていた。バーバラはせきこんだり、服の泥を払ったりしながら、泣き喚いていた。続いてケシーも、同じ有り様ではい出てきた。二人の様子があまりにも滑稽でおかしくて、メリーラもルーフェも、気の毒がるのを忘れて笑った。バーバラは泥まみれの顔でこちらをねめつけると、いたたまれなくなって走り去っていった。途中、一度振り返って金切り声でケシーを呼んだ。メリーラは後始末のつもりで大声で、
「さようなら、また来てね、バーバラ!」と叫んだ。
 バーバラはものすごい形相で振り向いたが、顔を真っ赤にして、小走りに行ってしまった。
「やっと、追い出せたわね‥」ルーがため息をついた。
「あの子に見つかったのは運が悪かったわ。この場所を発見する確立なんて、そう高くはないでしょうに。メリー、入り口の板を外しましょう。ロウソクの数はそんなに減ってないはずよ。使い切ってしまうほどの時間はなかったでしょうからね。でも敷物の泥は落とさなきゃ。クッションのカバーも取り替えて、また居心地よく清潔にしましょうよ。」
 メリーラはまず板の詰め込まれた入り口に回り、手近な石を投げつけて板を割ろうと試みた。けれど、四角柱が邪魔をして、うまく割れない。ルーフェと二人がかりで四角柱を引っ張ってみたが、固くて外れない。一休みしては、何度も挑戦したがだめだった。思えば、先ほどこれらをうまくはめこむことが出来たのは、バーバラ達が目を覚まさないうちにと、あせっていたからかもしれない。
「まさか、もう二度とはいれなくなったんじゃないでしょうね。」
 ルーフェの声は沈んでいた。
 メリーラは途方に暮れながらも、良い香りのするフロックスの花を見つけ、心をまぎらわせてくれるものを摘もうと、近づいていった。お気に入りの、秘密の洞窟がふさがれてしまったなんて、考えたくなかった。しかも、ふさぐことを考えたのも、実際にふさいだのも自分なのだ。もう何も考えず、花を摘むためだけに生きていられたら、と思った。
「メリー、メリー!」
 ルーフェの声に我に返った。
 振り向くと、ルーフェの目は深い青紫に輝き、頬は紅潮していた。何か良い知らせに違いなかった。
「悩むほどのことじゃないわ、メリー。バーバラ達が壊して出てきた土壁を、もっと拡げて新しい出入り口を作ればいいのよ!」
 二人は一瞬見つめあい、次の瞬間には喜びの笑い声を上げた。なぜ、こんな単純なことにすぐに気づかなかったのかしら!ぽっかりと開いた穴のところへ行ってみた。岩だとばかり思っていた洞窟の壁にも、こんなにもろいところがあったのだ。もう一度材木置場へ戻り、シャベルを借りてきた。少しずつ穴を拡げ、子供なら楽に通れるくらいの大きさにした。
「ここが、秘密の洞窟の、秘密の出入り口というわけね。最初の入り口よりも狭いから、怖がってもう誰も、入ってはこないでしょうよ。でもルー、バーバラはまた来るかもしれないわ。」
「さあ、どうかしら?もうこりごりしてると思うけど。《危険、入るな!》の貼り紙でもしておく?そうすればきっと、誰も近づかないわよ。」
 それはとてもいい思い付きだったので、メリーラは早速、薄い板とペンを用意し、《魔女の隠れ家》と書いて、新しい出入り口のそばへ立てかけておいた。これを読めば、中に入るのにかなりの勇気を要するだろう。
 後日、バーバラはケシーにこう言ったそうだ。
「あんな泥だらけの不潔な場所、もう二度と行くもんですか!」

 メリーラはルーフェを誘って、オランダガラシに縁取られた透明な小川をさかのぼり、ブルー・デイジーで青く染まった花園へやってきた。青い花は、薄荷のような清々しい芳香を漂わせ、そよ風に首を揺らしていた。いつになく、風の涼しい午後だった。空気は6月の雨上がりによくある、濡れた土の匂いを含んでおり、葉の上にたまったしずくはビー玉のようにきらめいていた。雨は、運よく外出前に降ってすぐ止んだため、地面も木の幹も、驚くほどの速さで乾きつつあった。
  木登りをするつもりでやってきたメリーラは、そんなわけで木が十分に乾いてカラカラになるまで、休憩をとることにした。スウィーばあやが持たせてくれたバスケットには、アンズのパイと、よく冷えたミルクが入っており、ルーフェと二人で分け合って食べた。
「ルーフェ、あんたこの場所、気に入った?あたしは、月に照らされた、明るい果樹園と同じくらい好きだわ。ここだってきっと、夜になればかなり神秘的なはずよ。ブルー・デイジーの青い花びらって、真夜中の訪れとともに茎から離れて、妖精に姿を変えるんだと思うわ。花びらの色そのままの青い羽根をしていて、自由に飛び回れる歓びで小さな胸をいっぱいにして、星と語らうために、天まで舞い上がるの。でも、星へ行き着くまでには目に見えない壁があることに気づいて、失望のあまり大粒の涙をこぼしながら、もとの花園へ戻ってくるの。雲ひとつ無い夜に、突然真珠色の雨が降ることがあったら、星に出会えなかったかわいそうな妖精たちの涙なのよ。でもきっと、その雨はこの花園にしか降らないわね。ここしか、戻ってくる場所がないんだもの。初めは白かった花が、純粋な涙の色に染まって、長い年月のうちに少しずつ青みを増して、今のブルー・デイジーになったんだと思うわ。つまりこの花は、妖精の愛を吸い込んで生きてきたのね。この神聖な場所に、ふさわしい名前をつけなくちゃ・・・・・そうね、“妖精の想い園”というのはどう?」
  ルーフェは、メリーラが描き出した世界にすっかり魅了されてしまった。
「あなたの頭の中は、磨きぬかれた言葉と思想でいっぱいなのね、メリー・・・」と、感嘆のため息をこぼす。この素直な賞賛の言葉はこれから先いつまでも、メリーラの誇りとなるのであった。
「ねえルー、もう木もずいぶん乾いてきたし、これならスイスイ登れそう!あんた、良かったら先に登って、あたしの渡すバスケットを上で受け取ってくれない?ここに置いていったら、野ウサギが来てつまみぐいするわ。」
  これを聞いたルーフェはつくづく、メリーラの発想は豊かでかわいらしさにあふれている、と思った。
「いいわ、先に登るわよ。」
  登るといっても、幹があまりに太く、しがみつく足がかりさえないため、この木には誰がつけたのか縄ばしごが吊るしてあった。しかし、14歳にもなろうという娘がスカートの裾をまくり上げて木登りする場面など、人通りの少ないこの場所ならではの光景だった。当の少女たちはそんなことはお構いなしに、元気よく木登りを楽しんでいた。
  バスケットを渡しておいてメリーラも登り、頑丈な枝の上に安心して座った。相当な樹齢の巨木とみえ、幹の周囲は、メリーラぐらいの女の子が手をつないで取り囲むと、10人は手が届きそうだった。安定した足場ゆえに二人は、地上にいる時と同じぐらいゆったりと、くつろぐことができた。
  メリーラは、バスケットからジャムの瓶を取り出すと、ルーフェに差し出した。
「お茶の時間までだいぶあるから、お腹もすくと思ってね。これね、スウィーばあや特製のレモンの砂糖漬けなの。酸っぱくはないから、大丈夫よ。甘すぎもしないったら。あんたは霧の国の王女のようにほっそりしてるんだから、心配しないで召し上がれ、スミレさん。」
  他には誰もルーフェを“スミレさん”とは呼ばないが、彼女にぴったりの呼び名だった。薄紫のエプロンドレスに、スミレの花を散らした純白のブラウス、紫のヘア・リボン。スミレ崇拝者のルーフェらしい服装だった。実際、ルーフェのしなやかな白い肌と、ゆるやかにたゆたう金髪には、スミレの紫がそれはよく似合った。それがメリーラにはうらやましいのだった。
「爽やかな風が通り抜けるような味でしょう?」
  ルーフェが砂糖漬けを口に入れるが早いか、メリーラがたずねた。
「本当ね、本当にそんな感じよ。初夏にふさわしい食べ物ね。」
  そしてさらにもう一口、つまむ。気に入ったようだ。
  あまりにも木漏れ日が優しかったせいか、木の上の居心地が良すぎたのか、初夏の涼しい風に誘われたのか、とにかく二人は急激に眠くなり、心地よい温もりとレモンの香りに包まれて、いつしかすやすや眠ってしまった。
  そこへ、ケシーの家へ向かう途中のバーバラが、花園を横切るように歩いてきた。雲ひとつなく、じりじりと暑い太陽が彼女に照りつけていた。なんて蒸し暑いの、と汗を拭ったとき、いかにも涼しげな濃い影を落とした大木がバーバラの目に映った。あの影の中に入ったら、生き返った心地がするに違いないわ。ちょっとだけ、あそこで休んでいこう。
  バーバラは、大木に気づかずにまっすぐケシーの家へ向かうべきだった。そうすれば、木陰に入ったときふと上を見上げ、メリーラとルーフェの存在に気づいたりしなかっただろうに。この運命のいたずらは、真夏のような太陽のせいだろうか?いや、メリーラに言わせれば、
「太陽はただ、いつもの道を進んでいただけ」なのだ。
  バーバラは二人の姿を認めるなり、忘れもしない、あの洞窟で受けた屈辱の数々を思い出した。あの時、もう脱出不可能で、死ぬかもしれないとさえ思ったのだ。やっとの思いで外へはいずり出た時の、二人の憎らしい笑い声!何とかして仕返しがしたいと、ずっと考えてきた・・・今まさに、目と鼻の先に、獲物がぶらさがっているのだ!この機会を逃す手はない。だけど今回は、私がしたとばれないようにしなくては・・・このずるがしこい二人のことだ、またひどい目にあわされるかもしれないもの。まあ、幸せそうな顔で眠っていられるもの、今のうちよ・・・。
  一方、木の上の二人は、ブルー・デイジーが妖精となって、夜の花園に真珠色の雨を降らせる夢を見ていた。

 バーバラには、コークという名前の弟がおり、いたずらざかりの8歳で、くりんとした目に、バーバラそっくりの栗色の巻き毛を持っていた。コークは一人で畑のじゃがいもを掘り起こし、インクで色をつけてはまた埋めなおす、という作業を、飽きることなく繰り返していた。そこへ姉のバーバラが、ケシーの家へ行くのも忘れて飛んできたものだから、コークは慌ててインク壷を背中に隠した。拍子に、コークの靴下とズボンに、インクは情け容赦なくべったりくっついた。泥とインクまみれの手で鼻をこすりながら、姉の方へ顔を向けた。
「どうしたのさ、そんなにあわてて。」
「あんたまた何か、いたずらしてたんでしょう。」姉の声はとげとげしかった。
「ママが、ここはうちの大事な畑だから決して入るなって、きつく言ってたのを、あんたまさか忘れたんじゃあないでしょうねえ?」
  コークの答えはあっさりしたものだった。「僕、忘れたんだよ。」
「あーら、そう。いいわ、私ママに言いつけてこようっと。きっとひどーいおしおきを受けるわよ、コーク。」
  これを聞いたコークは、平気そうな顔をしようとしたが失敗した。バーバラはここぞとばかりに、本題に入った。
「でもね、コーク。私のとっても簡単な頼みごとをきいてくれたら、黙っててあげてもいいわよ。それに、お礼に私のミルク・キャンディーを好きなだけあげるわ。どう、やってくれる?」
  コークの瞳に迷いの色はなかった。「やるやる。ぼく、何だってやるよ!」
「いい子ね!」
  バーバラは、わざと優しいそぶりでコークの肩を抱き、たくらみのすべてを話して聞かせ、それをきちんとやり遂げることを、約束させた。コークは素直にうなずいたが、それは姉への忠誠などではもちろんなく、ミルク・キャンディーへの甘い誘惑に負けたのだった。それに、ママに告げ口されることは避けたかった。
  バーバラが、コークを連れて"妖精の想い園"の大木の下に戻ったとき、メリーラもルーフェもまだ眠っていた。陽は相変わらずさんさんと降り注ぎ、のどかな風が花園をかけめぐった。雲はレースのように空の青さをやわらげ、ゆっくりと流れていた。さっき来たときより、木陰の黒さが薄らいでいるのに、バーバラは気づいた。もうすぐ日没がやってくるのだ。西の空はやがて、ぶどう色に満たされることだろう。木の上から垂れている縄ばしごを静かに登り、獲物がまだ眠っていることを確認すると、バーバラは弟に、「いい?言ったとおりにするのよ。」と念を押すと、姿を消した。その目は、意地悪な悦びに輝いていた。
  コークは、バーバラが用意した大きな鉄のハサミで、丈夫な縄ばしごの縄を、プツン、プツンと切り離した。背の届く限り、上の方まで切っておいた。コークは上に人がいるなんて、考えてもみなかった。考えていたのは、ごほうびのミルク・キャンディーのことだけ。姉の言いつけどおりに約束を果たしたコークは、ごほうびをもらうために、明るい野原を足取りも軽く、帰って行った。 後に残されたのは、コークの手が届く高さまですっかり切り取られた、もう役に立たない縄ばしごと、無邪気に眠る二人の少女、そして淡い紫に染まり始めた西方の綿雲だった。メリーラが、スウィーばあやに告げてきた帰宅時間は5時で、あと数分で5時になろうとしていた。この時、小高いブルーリバー山地の森から旅してきた子供のリスが、二人の頭上の小枝を折って、慌てて走り降りたので、その音で二人は同時に目を覚ました。
「あら‥‥?」ルーフェにはまだ、ここがどこか思い出せないらしい。それでも、横を見るとメリーラの姿があったので、安心してまた、うとうとしだした。
  メリーラは横たわったまま空を見上げ、木の葉の無数の重なりの向こうに見え隠れする、ピンク色の雲やぶどう酒のような紫の空に、胸をときめかせていた。見とれながら、無数の葉を巨大な緑の湖に、ピンクや紫の空の光を夕焼けの精の羽根に、想像して魔法をかけた。この、目を開けたまま"想像して魔法をかける"ことは、メリーラの魂に生命の歓びをたっぷりと与えた。

 空が、徐々に薄暗くなり始めていることに、最初に気がついたのはルーフェだった。飛び起きてメリーラを起こした。
「メリー、今何時かしら?」
  メリーラは我に返って、バスケットから借り物の母の懐中時計を取り出した。
「いけない、5時を回ってるわ!私たち、もう帰らないと。」
  二人は、互いの服に付いた土や木の葉を払い落とした。
「さあ、十分きれいになったわ。メリー、あんた先に下へ下りて、私がこのバスケットを落とすから受けとめてちょうだい。」
  中身のパイもミルクも二人で食べてしまっていたので、バスケットはすっかり軽くなっていた。メリーラは承知し、もう5時を回っているということを思い出し、急いで縄ばしごを下り始めた。2つ、3つ、と足をかけて下りていったが、4つめの縄から下は、ばっさり切られて存在しなかった。当然そこにあるものと、はしごを頼って足を延ばしたメリーラは、勢いでがくんと体勢を崩し、驚いたまま縄をつかむ手をすべらせて、小高い場所から固い地面に、引力に従ってたたきつけられた。

  ルーフェにとっては、ほんの一瞬の出来事だった。恐ろしさに震えながらも、メリーラの元にかけよりたい一心でどうにかして木の幹を伝いながら、大急ぎで木から下りた。うずくまったメリーラのそばへかがみこみ、バスケットを上に置いてきたことも忘れて、静かに最愛の友を抱き起こした。見るからにメリーラはぐったりとし、半ば意識を失っているようだった。その顔は青ざめていて、ルーフェをぞっとさせた。
  ルーフェが何度も何度も自分の名を呼んでいるのに気づき、メリーラはゆっくりと目を開いた。次の瞬間、強い痛みが頭や胸に、特に足首に、稲妻のように走った。その痛みは継続的で、メリーラは苦しくて耐えられなかった。
「誰かに‥‥家へ‥‥」と、言うだけで目まいがして、メリーラは今度こそ完全に気を失った。
  ルーフェは、メリーラの言わんとしていたことを察し、動揺しながらも近くの農園まで全速力で駆けてゆき、男の人を見つけると息も絶え絶えに事情を知らせた。男は話をのみこむと、ルーフェの後をついて、メリーラの元へと急いだ。もう美しい夕焼けも、森の香りも、花の色も、何も目に入らず、妖精の想い園に着いた時二人は、すっかり息が上がっていた。それでもすぐに呼吸を整え、男はメリーラを抱きかかえて長いポプラ並木を抜け、ルサフォード邸へと向かった。
  玄関の掃き掃除をしていたメリーラの母、ネリルは腰を抜かさんばかりに驚き、真っ青になっていつになく取り乱した。
「何があったの?ああ、とにかく早くこの子の部屋に‥ばあや!ばあや!熱いお湯と、氷水と、私の薬箱をメリーラの部屋に持って来てくださいな。お願いします‥‥ルーフェ、あなたは家へお帰りなさい。あなたのお母様だって、心配してらっしゃるに違いないわ。いいえ、だめよ。あの子はもう大丈夫だから安心して、明日になったらいらっしゃい。それから、ありがとうね、あなたがあの男の人を呼びに行ってくれたんでしょう?偉かったわね。さあ、私は2階へ行って、あの子の様子を見てくるわ。」
  ルーフェは帰る道々、何度も振り返ってメリーラの部屋の明かりを見つめた。私が、悪いのだ‥‥私が、先に木から下りれば良かったのだ。あの子に先に下りるよう言わなければ‥‥。そうだ、バスケットを忘れてきた!メリーは意識を取り戻すかしら?それだけじゃない、怪我の程度はどの程度、ひどいんだろう。かなり痛む様子だった。あんな高い場所から落ちたんだもの!足を踏み外したのかしら?門限を過ぎて急いでいたから?違う、違う、何か不自然な点があったような気がする‥そうよ、そう!縄ばしごがおかしかったわ!下の方が全部、切れてた。自然に切れるなんてことないわ、あんなに丈夫な縄が。じゃあ、誰かが故意に切った?私たちが眠っている間に?だって、登るときにはなんともなかったものね‥。でもいったい誰が、そんな危険ないたずらをするっていうの?気ちがいか、もしくは‥よっぽど、私たちを憎んでいる人。私たちを憎む?もしかして、もしかして‥‥彼女が?確かに、私たちのことを恨んでいるだろう。でもここまでするかしら?
  一旦疑惑が浮かぶと、ルーフェにはもう、犯人は彼女以外には考えられなかった。

 あくる日、ルーフェはパンジーの花かごを持って、お見舞いにやって来た。
「メリー、気分はどう?ああ、メリー、わたし昨夜は心配で心配で、眠れなかったわ。でも、昨日よりはきれいな顔色をしてるわね?」
「心配かけてごめんね。今日はね、昨日より気分がいいの。昨日ほど、人生の終わりを身近に感じたことってなかったわ・・・今にして思えば。それがこうして、何もかも良い方向に進んでいってるんだもの、やっぱり神様がお守りくださったとしか思えないわね。これからは、今まで以上にお祈りに心をこめるようにするわ。でも実はね、ルー、これはあんただから言うんだけど、私、完全に元通りというわけではないの。気分は申し分ないんだけど、足が妙な感じなの‥何も感じないのよ。さっきお医者さまが来て、いろいろ診てくださったんだけど‥‥。えっ?この花かご、私に?うれしいわ、あたしパンジーって大好きなの!この殺風景な部屋がぱっと明るくなったわ。本当にありがとう‥こんな風に心配して来てくれて。"運命の友"を持つって、ほんとに幸せなことだわ。」 
  思えばあの日、メリーラが散歩の途中で寄った湖、"アイリスの水がめ"でルーフェに出会ったことは、運命的な偶然だった。あの時、夢のようなもやの中でも二人ははっきりと、お互いの持つ神秘的な魅力に引き寄せられるのを感じていた。その後ずっと、まるで幼なじみのように打ち解けて、何のへだたりもなく親しくしてきたのだった。二人は考え方や感じ方がよく似ていた。そのため言い争うことも少なく、素敵な信頼関係も生まれ、互いに敬愛の念を抱いていた。双子さながらの仲の良さで、いつも一緒に行動していた。しかし、性格や好みはまったく似ていなかった。ルーフェは限りなくスミレが好きだったが、メリーラは苦よもぎやペパーミントや月桂樹など、緑のものに強く惹かれた。ルーフェは穏やかで上品な雰囲気を持っていたが、メリーラは無邪気で純粋な印象の娘だった。
  ルーフェがメリーラの話をさえぎって花かごを差し出したのは、メリーラが怪我のことに触れるのがいやだったからだ。心の中に、何かぞっとするものを感じるのだ。それがなぜなのかよく分からなかったが、ルーフェは帰る前に、メリーラの母ネリルを見つけて、二人だけで話がしたいと切り出した。
「メリーラの怪我は、ひどいんでしょうか‥‥何も感じないと言ってましたけど。」
  ルーフェの目はおびえていたが、真剣だった。重大なことなのだ。もしメリーラが歩けなくなったら、一緒に森を走り回ったり、丘に登ったり、海で泳いだり、すべて出来なくなってしまうのだ。せめて一緒に、ポプラ並木を散歩することぐらい許してほしい、とルーフェは神様に願った。期待をこめてこちらを見上げる思いつめた顔を見て、ネリルは戸惑ってしまった。
「それが、今のところはまだなんとも言えないの。お医者様は一週間ほど様子を見なさいと言うし‥足の状態がはっきり分からないから、私たちもどう世話をしていいか途方に暮れているのよ。一週間したらまたお医者様が来て、足の具合を診断してくれることになっているの。私たちに出来ることは、ただその日を待ちながら、あの子に優しくしてあげることだけよ。」
  ルーフェは、ネリルが勧める干しアンズをかじりながら、落ち着いて頭の中を整理しようとした。そして、今回の事故について自分なりの見解を述べた。怪我の原因となった、切れていた縄ばしごのこと‥‥誰が切ったのか、心あたりがあること‥‥ネリルに分かるように説明するためには、メリーラとの秘密だった洞窟のことも言わなければならなかったが、この状況では賢明なことだった。
  話を聞き終えるや否や、ネリルは外出の支度を始めた。上等の黒いワンピースに袖を通す。これからバーバラの母親に会いに行き、事の真相を確かめるつもりだった。そのためには黒い服がもっとも威厳があるという気がしたのだ。ルーフェの同行は必要ないと判断し、ネリルは一人でバーバラの母親に会いに、ルサフォード邸を後にした。

 バーバラの母、ケンダル夫人は、埃っぽい庭をせわしなく掃き清めていた。ケンダル夫人自らが掃除をする光景は実にまれで、たいていはメイドが行っていた。ネリルは奇遇にも、その貴重な日に訪問したのだった。しかし今は、その珍しさに気づく余裕がなかった。大事なかわいい娘が、心ならずもベッドにしばりつけられているというのに。ケンダル夫人がけげんそうにこちらを見ているのも構わず、近づいていった。思い切って切り出さなければ、こちらに話をさせる隙を与えてくれないかもしれない。
「こんにちは。お嬢さん、ご在宅でしょうか?」
  少し、声が上ずった。ケンダル夫人は、眼鏡越しにチラリとネリルを見やると、
「家の中。」とつぶやいた。答えたというより、独り言のように。明らかに、自ら娘を呼びに行く様子はなかった。まるで何事もなかったかのように、掃き掃除を続けている‥眉間にしわを寄せて。ネリルはため息をついて、バーバラを探しに大きな屋敷の方へ足を向けたが、ケンダル夫人の鋭い声に呼び止められた。
「ちょいと奥さん、勝手に人の家に上がりこむつもりですか?いったい、どういう教育を受けてなさるんだか‥‥。ここでは、そんな態度は通用しませんよ。」
  ネリルが呆気に取られている間に、夫人はメイドの一人に、バーバラを呼びに行かせた。しばらくすると、バーバラが二階の窓から顔を出した。
「あら、おばさま。どうぞそこの裏口から、入って来てくださいな。今、下へ行きますから。」
  どうやらこの家では、来客を、メイド用の裏口から招き入れる習慣のようだ。親族や金持ち連中の時は、正面玄関から迎え入れるのだろうに。ネリルは、不愉快になってきた。ここを訪れたことのある、分別をわきまえた人たちは皆、同じように感じた。悪魔の屋敷に入るように恐る恐る、そして気分を害しながら、ネリルは示された裏口から中へ入った。台所に通されたネリルは、普通は客間か、くだけた場合でも居間へ通すべきではないかと、ケンダル家の常識を疑った。メイドが、台所で待つように言うのだから、仕方がない。やがて、バーバラが現れた。ネリルは、バーバラに会うのはこれが初めてだったが、顔を見てすぐに悟った。これは、平気でたくさんの嘘をついてきた顔だ。あの母親の娘だから、非常識に育ったのだろうか。それとも生まれながらの、性悪なのか。ネリルは、重い口調で話し始めた。

「バーバラ、あなたに聞きたいことがあって、こうして来たのよ。メリーラが怪我をしていることを、あなた知ってる?」
  バーバラの顔色がさっと変わった。答える前にとっさに、考えをめぐらせた。あれだ‥コークに切らせた縄ばしごから、まんまと落ちたのだ。内心ほくそ笑んだ。しかしなぜ、メリーラの母親がうちへ来て、私にこんなことを聞くのだろう?もしあのとき、誰かがあの場所を通りがかって目撃していたのだとしても‥コークの姿しか見ていないはずだ。私はその場にいなかったんだもの、問い詰められても知らないふりをしていよう。万が一のときは、全部コークのいたずらってことで、罪を押し付ければいいわ。彼女は演技を始めた。
「メリールが!?ああ、なんてことなの!今初めて知ったわ、おばさま。一体どうして怪我なんて?メリール、大丈夫なの?」
  ネリルは、小悪魔と争う気はなかった。
「そう、知らなかったのね。あの子、しばらく学校を休んでいるし、みんな不思議に思ってるんじゃないかと思ってね。もういいわ、ありがとう。ごめんなさいねお邪魔して。」

  バーバラが去った後、裏口から帰ろうとしたネリルは、どうやら今の話を盗み聞きしていたらしい、にこにこ顔のコークを、廊下の隅に見つけた。
「こんにちは。こっちへいらっしゃい。もし良かったら、おばさんお菓子を持ってるんだけど、お一ついかが?」
  そう言って、大きなビーズのバッグから取り出したのは、こけもものマフィンだった。ネリルは外出の際、お腹がすいたときのためにお菓子を持って歩くのが常だった。コークはたちまち目を輝かせて、うれしそうに近づいてきた。おいしそうにマフィンをほおばるコークに、ネリルは興味をもって尋ねてみた。
「あなたぐらいの年頃って、日常のすべてのことが大冒険なのよね。最近の大冒険を、おばさんに教えてくれない?たとえば、木に登ったとか、川へ飛び込んだとか、動物をつかまえたとか‥‥」
  この巧みな質問に、コークはこう答えた。
「ぼく、ヒミツのニンムを、りっぱにはたしたよ。それはヒミツだからおばちゃんには言えないや。でもね、木とハサミに関係のあることだよ。」
  コークにとって目の前にいるのは"知らない人だけど、お菓子をくれたいい人"で、それ以上の何者でもなかった。彼は、木の上に人がいたことや、このおばさんがメリーラの母親だということを知らないのだ。このおばさんに、この間の自分のいたずらを話しても、特に問題はないように思えた。誰にも言っちゃいけないって、姉ちゃんは言わなかったもの。
  コークの言葉に敏感に反応したネリルは、コークにもうひとつマフィンを与えながら、さらにやわらかく尋ねた。
「まさか、ハサミで枝を切ったり、木を傷つけたりしたんじゃないわね?そんなことをしたら、木は腐って、死んでしまうのよ。いけないことなのよ。」
  ネリルの誘導に、コークはあっさりひっかかった。
「だいじょうぶだよ!ぼくが切ったのは枝じゃなくて、はしごだよ。木からぶらさがってるやつ。固くてなかなか切れなかったけど、姉ちゃんがキャンディーをくれるって言うから、ぼくがんばって上の方まで背伸びして切ったんだ。ぼく、りっぱでしょう?おばちゃん。」
  恐ろしい事実を突き止めたものの、ネリルの心は一向に晴れなかった。あの娘‥‥平気で嘘をついた上、食べ物で弟の心を引いて、自分の手は汚さずに悪事をはたらくとは!
「あんたは‥‥よくやったよ。あんたの姉ちゃんは、なんでまたはしごなんか、切るように言ったの?」
「さあ‥ぼく、よくわかんないや。きっと、女だからいたずらなんて、はずかしかったんじゃないかな?姉ちゃんがいつも言ってるけど、『レディらしくないことはしない』んだよ。おばちゃんだって、もういたずらなんかしないんでしょう?おばちゃん、このお菓子、どうもごちそうさま。おばちゃんの分がなくなっちゃうよ。」
  この幼い心は、あの母親と姉と同じ屋根の下にいるにも関わらず、まだ毒されてはいないようだ。
「優しい子だね、あんたは。いろいろ話してくれてありがとう。あんたはとってもいい子だから、いくらキャンディーがほしいときでも、姉ちゃんの言うことはあんまり聞かないほうがいいよ。何かと引き換えにものを頼まれるときは、大体悪いことに決まってるんだからね。よく、覚えておくんだよ。」
  この家で、果たしてコークが無事"いい子"に成長できるかどうか、一抹の不安を抱きながらも、ネリルは表へ出た。振り返ると、コークが窓から身を乗り出し、ネリルがあげた3つ目のマフィンをかじりながら、にこにこして手を振っていた。ネリルは意を決してケンダル夫人に向かい、バーバラのしたことと、それによるメリーラの被害を話して聞かせた。夫人は、初めのうちは信じようとしなかったが、ネリルの剣幕に圧倒され、ついには、
「明日でよろしければ、あの子と二人でおわびに伺います。」と、力なくうなだれた。

 ベッドに静かに身を横たえたメリーラは、密やかに訪れる黄昏を、幸福な面持ちで迎えていた。考えてみると、こうして足を怪我して寝ているということは、人生でそう何度も経験することのない、ある意味劇的な出来事だった。足はずいぶん回復し、自分の意思で好きなように動かすことも可能になっていた。メリーラは気持ちよく温もった布団から起き上がると、スウィーばあやの手作りの、大きなパッチワークのクッションに、ふんわりともたれかかった。雲に寝転ぶことが出来たら、こんな感じかもしれない。白くて、温かくて、巻き起こる風も頬にやさしく、やわらかく…
  ノックの音がした。気分の良いメリーラは明るい調子でどうぞ、と声をかけ、再びやわらかな布団にくるまった。扉を開けて、入ってきたのはネリルと、思いがけない客だった。バーバラと、ケンダル夫人!もしかして、ルーと私がバーバラを洞窟に閉じ込めたことがばれて、文句を言いに来たのかしら!…いや、二人ともそんな様子ではなかった。ネリルは、この場に自分がいない方がいいと判断したらしく、メリーラに軽くウインクを投げかけると、そっと退場した。ケンダル夫人がおもむろに、口を開いた。
「あなたに、お話したいことがあるのです…大事なことです。さあ、バーバラ。」

  ケンダル夫人は昨日、バーバラをつかまえて何時間も問い詰めた上、悪事を白状させ、さらに時間を要してメリーラに謝罪するようしかりつけ、説得したのだった。うながされ、バーバラはうつむきながらしぶしぶ、小さな声で言い出した。
「ごめんなさい、メリール。私が弟のコークに言いつけて、ハサミで縄ばしごを切らせたの…ずっと上の方まで。あの場所を通りがかった時、涼しそうな木陰だと思って一休みして行こうと思ったの。そしたら思いがけなく、木の上にあんた達がいたのよ。私、あんた達が眠ってるのを確かめて、すぐにコークを呼びに行って…はしごを切らせたのよ。私、あんたに怪我をさせようなんて、これっぽっちも思っていなかったのよ。ただあんた達が、降りようにも降りられず、日が暮れた頃に、幹にしがみついてズルズル、仕方なく降りる破目になればいいなと思ったの。そうすれば、服が木の汚れで台無しになるし、いい気味だと…陰で、こそこそ笑いたかったのよ。ほら、あんた達が私を洞窟に閉じ込めた時、必死にはい出て来た私が泥まみれだもんで、あんた達大笑いしたじゃない。悔しくて、悔しくて…あの仕返しがしたかったのよ。それだけよ。そりゃあ、あんた達の洞窟に勝手に入って、出て行かなかったんだもの、ひどいことをした罰に、閉じ込められても当然かもしれないけど…。でもあんた達より私の方が、どれだけ悔しかったかしれないわ。分かるでしょ?」
…メリーラには、分からなかった。
「何度も言うけど、今度のことは、仕返しなの。でもそのせいであんたが落っこちちゃうなんて。本当に、怪我を負わせてやろうだなんて、少しも考えてなかったわ。それは、信じてくれるでしょ?」
  …あまり、信じられなかった。「さあ、これがあんたの足が動かない原因の、あらいざらいだわ。もちろん、許してくれるわよね?」
 メリーラは、バーバラがこんなにもずうずうしい謝り方をしなければ。許しても良いと考えていた。彼女にしては珍しく、自分を美化することなく、ありのままを語ったのだから。少し気に障る言い方ではあるが…。謝りながら、バーバラは涙さえ流していたのだ。もっとも、涙の大半は、"嫌いな人に謝らなければならない悔しさ"が成分だったのだが。極めつけの言葉が、「もちろん、許してくれるわよね?」ときた。お話にならないとはこのことだ。ずうずうしいにもほどがある。一体どんな家庭に育てば、こんな小悪魔になってしまうのか…。バーバラの謝り方に対して何も注意しない、この母親にも責任がありそうだった。金持ちにありがちな"高慢な態度"を見せ付けられ、メリーラは少なからずおののいた。バーバラのために、美しい"妖精の想い園"の夢が汚され、暗く悲しい"小悪魔の園"におとしめられたことを思うと、胸が痛んだ。メリーラはもう二度と、あの木に登ることは出来なかった。空を仰いで寝転び、緑の葉の洪水や、夕焼けの精に出会う喜びは失われ、幻の池に沈んでしまったのだ。
 メリーラはまっすぐにバーバラを見た。憎しみと悲しみ、哀れみと蔑みをそのまなざしにこめて。この視線に、さすがにバーバラも罪悪感にさいなまれた。もう、メリーラは自分を許してくれないのだ。そのことが分かると、どうしようもなく惨めな気持ちが押し寄せてきた。ほんの少しの慈悲にもすがる思いで、バーバラは心から言った。
「メリール、本当にごめんなさい!」
 途端に、メリーラの目は一等星のように明るく輝き、頑なに閉じていた心の扉が開いた。メリーラは、バーバラを許すことにし、彼女にそう伝えた。メリーラの耳には、真実の声しか届かないのだった。

 その日は、朝から目もくらむほどに晴れ上がっていた。青い羽根の小鳥が、窓辺のリンゴの枝の上で、夏の歓びを歌っていた。
  メリーラの足の怪我から一週間が経ち、再び医者が訪れた。彼は診断結果を、「順調な回復ぶりですな」と、朗らかに告げた。これを聞いた瞬間から、メリーラの心に影を落としていた暗雲は消え去り、世界が見違えるほど明るくなった。明るくなってから3日が過ぎたが、ネリルは用心してまだベッドで横になっているよう、メリーラを説き伏せた。「最後まで安心は出来ないし、万一ということもあるからね。」これは、いつものネリルの口癖だった。
  部屋で横になっていたメリーラは、ノックの音がしたので、窓からのぞく青空を海に、雲を雪で覆われた真っ白な島に、"想像して魔法をかける"のを止め、「どうぞ」と、わざと元気のない声で応じた。メリーラの考えでは、怪我を負った悲劇のヒロインは、か弱く人の涙を誘うような言動をとらなくてはならないのだった。入ってきたのはルーフェと、ケシーだった。バーバラといつも一緒にいる、あのケシーだ。
「具合はいかが?」尋ねたのはケシーだった。
メリーラはケシーの登場に驚き、思わず彼女の顔を凝視した。改めて眺めるケシーは、バーバラの後ろにいる時と違って、やさしげではかなげな、桜の花のような少女だった。まっすぐ伸びたサラサラの髪は、淡いブロンド・ベージュで、ほんのりピンクがかって見えた。この髪が、桜を想わせたのかもしれない。メリーラは、ケシーはまるで"見違える"ようだと思い、しばし見とれていた。ぽかんとしているメリーラに、ルーフェは笑いながら言った。 
「メリー、今日は素敵なお天気なのよ。雨上がりの時みたいに、景色がキラキラ輝いているの。あなた、本当はもう外出も平気なくらいに元気なんでしょう?風景が、なんだか生き生きしているの。自分たちの魅力にやっと気がついたみたいにね。これ、お母さんがあなたのために作った"森のパイ"よ。クルミやパンプキン・シードが入ってるの。きっと気に入る味よ。それから…ケシー」
ルーフェの目配せを受けてケシーは、自分の番が回ってきたのでドキドキして、メリーラに青い箱を手渡した。
「開けてみて。」
 箱の中から取り出されたのは、透明な、淡いベビー・ピンクのガラスの白鳥だった。
「私からの、お見舞いよ」と、はにかんだ顔でケシーが微笑んでいる。メリーラは美しいものを前に、悦びに充ちた表情でケシーを見た。その悦びの表情は、どんな「ありがとう」の言葉よりもケシーの胸に深く伝わり、ケシーはその後もずっと、一人満足の笑みを絶やさなかった。
 ガラスの白鳥は、眺めれば眺めるほど素晴らしく、どんな宝石よりも美しくきらめいて見えた。メリーラは尋ねないではいられなかった。
「ケシー、これ本当にいただいていいの?こんなに美しいものを、なぜ私なんかに?」
 ケシーの答えは、シンプルだった。「あんたが好きだからよ、メリーラ」
 目をまるくしているメリーラを見て、楽しそうに続けた。
「もちろん、あんたにしてみれば、あんたにひどいことをしたバーバラの仲間のこの私がなぜ、って思うでしょうね。でも私、あんたを一目見た時から、あんたのこと"良い妖精"だって信じてたの。ほら、妖精には醜い姿の悪い妖精と、かわいらしい良い妖精がいるでしょう?あんたはとてもきれいな顔をしているし…ただきれいなだけじゃなくって、妖精っぽいところがあるのよ、うまく言えないけど。それにあんたっていつも、正しいことをしてると思うし、実は私、前からあこがれてたのよ。あんまり話したこともないのに、いきなりこんなこと言って、なれなれしいと思わないでね。人懐っこいと思ってね。あんたと友達になりたいの。あんたの1番の友達でなくていいから、2番か3番あたりにしてくれない?もしあんたがイエスと言ってくれるなら…ずっと願ってきたことが、今ここで叶えられるのよ。さあ、あんたの返事を聞かせてちょうだい。」
 メリーラはルーフェの方を見て、肩をすくめてみせた。彼女の答えは、ケシーの妖精信仰の話を聞いた時から決まっていた。自分のことを、良い妖精だと信じてた、だなんて!それも嬉しいが、メリーラが心を惹かれたのは、ケシーもいろいろと想像するのが好きな少女だということだった。ケシーの大げさな言葉も、気に入った。メリーラの返事を聞くと、ケシーは踊りださんばかりに喜び、風のワルツを踊るような足取りで帰って行った。窓からケシーを見送っていたルーフェは、くるりと向き直るとメリーラと同時に吹き出し、心ゆくまで笑い続けた。
「実はね、ポプラ並木の途中でばったり、ケシーに会ったのよ。どこへ行くのか尋ねたら、あなたのとこだってすまして答えるじゃない。不思議でしょうがなかったけど、それ以上は何も聞かなかったわ。ただ、『その青い箱は何?』って聞いたら、あの白鳥のことを嬉しそうに教えてくれたわ。ケシーのお父さんって、ガラス職人なんですって。熱したガラスを膨らませて、花瓶や飾り物を作っているんですって。その白鳥、あなた用にって、特別に色を作って、かわいらしくアレンジしてもらったそうよ。あなた、本当に素敵な物をもらったわ。だってこれ、世界に一つしかない物よ。ケシーとは、今日まで話したことはなかったけど、意外に愉快な子だわ。あの子、ありふれた言葉をあんまり使わないのに気がついた?それでいて、素朴で、"神の子"のように純粋で。これからはあの子のこと、"デヴィーネ・ケシー"と呼ばない?"神のケシー"という意味をこめて。ところであの子の本当の名は、何というの?」
「ケシー・ハミルトンよ。」
「ああ、やっぱりデヴィーネ・ケシーの方が似合うわ。そろそろ私も、帰るわね。あんまり長くお邪魔してると、私が一緒に"森のパイ"を食べてるんじゃないかって、お母さんが心配するから。また来るわね、メリー。時々は日光浴でもして、あなたの中の血を目覚めさせてあげてね。」
 ルーフェが帰った後、メリーラは窓辺のロッキング・チェアに移り、助言どおり日光浴を楽しんだ。レースのカーテン越しに降り注ぐ日光は、春のような心地よさだった。夏とはいえ、室内で半ば眠っている状態なのだから。リンゴの枝でさえずっていた青い小鳥は、果てしない空の旅へ飛び立ったが、メリーラの傍らには優美なピンクの白鳥が、羽根をたたんで優しげに、少女に寄り添っていた。

 あくる日、目覚めてふとあたりの薄暗さに気づき、窓の外を見ると思ったとおり雨だった。たまに降る雨はきれいだが、ベッドで退屈した日々を送っているメリーラにとっては、雨はただ憂鬱なものでしかなかった。どんよりした灰色の景色に背を向けて、布団にもぐりこんでまたうとうとしだした時、ノックの音に目を覚まされた。メリーラの「どうぞ」という声には、いつもの演技ではなくて本物の憂鬱が混じっていたので、入ってきたルーフェは同情を抱かずにはいられなかった。
  ルーフェと一緒に入ってきたのは、シンディ・グリーンとリンゼー・シルバーだった。シンディは、学校で隣りの席に座っている仲良しで、いつものように鮮やかな青のエプロンドレスを着ていた。シンディは、もう少し努力すればかなりの美人だった。つまり、もう少し背筋を伸ばして、あごを引き、髪を下ろせば、印象が変わりそうだった。しかし大きな目はシンディのばら色の顔の中でキラキラとよく輝き、夢見るような瞳だった。腰はとても細く、きゃしゃな体つきだった。シンディはいつもの癖で、手を差し伸べながら話しかけた。
「メリーラ、あなた足を折ったんですって?昨日、リンゼーが知らせにきてくれたわ。かわいそうに、屋根の上の猫を捕まえようとして、足を滑らせるなんて!猫って、うちのお母さんがよく言ってるけど、悪運を招く厄介者なのねえ。足は治ったの?折れた骨はくっつけてもらったの?」
  シンディの途方もない話には、かなり面食らったと言わざるを得ない。足は治っているけれど、骨折したわけではない。どうやら学校では、メリーラの怪我のことで根も葉もない噂が飛び交っているらしい。シンディに間違った情報を与えたリンゼー・シルバーは、教会で知り合った少女で、漆黒の髪と目の持ち主だった。メリーラは、シンディの質問に答える代わりに、リンゼーに尋ねた。
「リンゼー、あなた誰から私の怪我のこと聞いたの?」
「母よ。」
メリーラが先を促すような顔をしたので、リンゼーは説明を始めた。
「おとつい母さんが、『ルサフォードさんとこの女の子、足を折って寝てるんだってね。確か屋根かどこかから、落ちたそうだよ。ひどく悪くてここ1週間ほどずっと寝たきりなんだって。なんでも、猫を捕まえるために屋根に登ったそうだよ。放っておけば勝手に降りてくるだろうに、あの子はちょっと軽率だったね。』って、隣りのおばさんと話してるのを聞いたの。」
  メリーラは、ありもしないことで「軽率」と言われたので気分を害した。リンゼーのお母さんに、そんなあらぬ話を吹き込んだのは誰だろう?メリーラは弁明した。
「そんなこと、全部嘘よ。まったくの作り話だわ。なぜそんな噂が立ったのかちっとも見当がつかないわ。そのとんでもない話をあんたのお母さんにしたのは、いったい誰なの?」
  リンゼーは戸惑いながら、答えた。
「たぶん…ケンダル夫人だわ。最近ではうちに来たのはケンダル夫人だけですもの。お母さんは滅多に外出しないし。」
  これを聞くと、メリーラの消えかけていた怒りのロウソクに、再び熱い火が灯った。だがそれを表には出さず、努めてにこやかに、
「今日は、お見舞いに来てくれてどうもありがとう。シンディもリンゼーも、元気そうで何よりだわ。お見舞いしてもらった者が言うせりふにしてはおかしいわね。あたしね、何だか頭が痛くなってきたのよ…少し眠らせてくれる?」
  二人は心配しながら帰って行った。ルーフェだけが、メリーラの気持ちが手に取るように分かったので、一人残った。二人はただ黙って、窓から見える夏の夕焼けを眺めた。遠くの湖でたくさんの渡り鳥が群れをなしている光景や、小川を横切る森のリスが、小さな点となって見えた。それらの美しい情景も、メリーラの涙の向こうにぼやけて見えた。ルーフェはそっとメリーラの手をとり、いろいろな思いをこめて握りしめた。
  一旦落ち着くと、メリーラはケシーのようにとめどなくしゃべり始めた。
「あんた、リンゼーの言ってたあの途方もない噂の種をまいたの、本当にケンダル夫人だと思う?人の口から口へ噂が伝わる度に話が曲げられて、最後には全然違う話になってしまうというのはよくあるけど、今回は最初から作り話なのよ。これがもし広まっていったら、ますますひどい内容になってしまうわ。それも、乾いたハンカチに、色水を一滴落とした時のような速さでね。色水といえば、あんた最近色水作りに凝ってるって言ってなかった?あら、香水だったかしら?まあ、色水も香水も似たようなものよね。とても素敵で魅力的な思い付きだわ。あんたのことだから、ほとんどスミレの花で作ってるんでしょう?ほら、やっぱり!スミレって、咲いてる姿はまるで、紫の涙みたいじゃない?きっと、紫は妖精の色だから、妖精の涙なんだわ。嬉しいときに流した涙は、淡い紫のスミレになって、悲しいときのは深い紫に染まるのよ…白いスミレもあるけど、あれはまだ妖精の涙のかかっていない、純粋なスミレの姿なのよ。ところで、スミレが首を垂れているのはどうしてだと思う?『謝っている』ですって?…そうね、そうも見えるわね。でもそれでは、あんたの愛するスミレに似・u桙ツかわしくないわ。あたしには、うつむいているように見えるわ。スミレって、太陽の方ばかり向いているヒマワリと違って、おとなしい、控えめな花でしょう?だもんで、上を向いて周りの木々と話をしたり、小鳥と挨拶を交わしたり、太陽に見つめられるのが恥ずかしいのよ。ああしてうつむいていると、地面の土か、自分の葉っぱが話し相手になるのかもしれないわね。これを人間に例えると、おとなしい子は年中、自分の足を話し相手にすることになるわね。そう考えると変ね。あたし一度、森で拾った鏡の破片を、森で見つけた、ひどく首を垂れた一人ぼっちのスミレの近くに、立てておいたことがあるわ。仲間がいるような気になって、さびしくなくなると思ったの。だってそのスミレの周りには、枯れ葉や、まだつぼみの緑のスミレがあるばっかりで、花らしい花がなかったんですもの。あんたと、"アイリスの水瓶"で出会う前の出来事よ。今話した森は、あんたの家から東の方角に見える、山のふもとの森よ。今度一緒に行きましょうよ。今でもまだ、鏡がそのままになっているかもしれないわ。もし行って、そのままになっていたら、その場所を"双子のスミァw)齡ィ"って呼ぶことにするわ。」
  聞き上手のルーフェは、笑ってただうなづいた。
「鏡に映っている相手が、双子のお姉さんということよ。でも、その場所までたどりつけるかしら?周りの風景はよく覚えているんだけど…きっと大丈夫、行ってみたらうまく思い出せるわ。」メリーラの話はあふれる泉のようだった。
「あんたもし疲れたら、あたし一人ででも探し回るから、良かったらあたしの後をゆっくり歩いてついて来てほしいの。完全に一人になると心細いし、"双子のスミレ畑"を見つけた時の歓びを、あんたと分かち合いたいのよ。足がくたびれたら、背負ってでも連れて行くわ。でもルー、あの森は山につながっていて、いろんな動物が出るらしいから、あんまり奥深くへは入らないことにしましょうよ。いくらあたしでも、凶暴な野生動物の前ではかよわい野うさぎにすぎないんですもの。まあ、とにかくあの森は陽気なところよ…あんたも行ったことあるでしょう?山葡萄の茂みがあるの、知ってる?森へ入るとすぐのところにあるのよ、教えてあげるわ。ルー、これだけは言っておくけど、くれぐれも毒イチゴには気をつけてね。ブラックベリーと間違えて食べちゃだめよ。だってあんた、ブラックベリーのジャムとか、大好物でしょ?あんたに目の前で死なれたら、あたし森じゅうの毒イチゴをむしりとって、地獄の炎で焼き尽くしてから、あんたの後を追うわ。」
  ここで二人とも笑った。ルーフェはメリーラを、本当に愉快な仲間だと思った。ケンダル夫人の流したばからしい噂話を嘆いていたかと思うと、いつのまにか冗談を言って笑っている。決してルーフェがそう仕向けたのではなく、自分自身のおしゃべりによって、元気が復活したのだ。メリーラは、一旦枯れても、また再生する力のある花だった。今日お見舞いに来たケシー、シンディ、リンゼーも、ルーフェと同じく、メリーラのことを愉快な仲間だと認めていた。

 ネリルの言う、「最後まで安心は出来ないし、万一ということもあるからね」の心配はなくなり、メリーラは弾む心を抑えてルーフェと散歩に出かけた。行き先は、魔法の泉がある、あの洞窟だった。靴を脱ぎ、敷物の上に居心地よく座り、クッションを背に当てると、メリーラは切り出した。
「あのねルーフェ、あたしの家で来週、パーティーを開くことになったの。パーティーというと、盛大なのを想像するでしょうけど、ほんのちょっとしたガーデンパーティーなの。正式に招待するから、ぜひ来てちょうだいね。」
と、ルーフェに差し出したのはパンジーの押し花の手作りカードだった。そのパンジーは、ルーフェがお見舞いに持ってきてくれたものだった。
「ルー、あんたにはこうしてパーティーのこと、事前に知らせているけど、ほかの人たちには実はまだ内緒にしているの。みんなをビックリさせたいのよ。あんたには、良ければパーティーの主役ケーキを作るの手伝ってほしいの。ほら、あんたクリームを搾ったり、ナイフでデコレーションするの得意でしょう?あんたに内緒にしていたら、手伝ってもらえないものね。」
  もちろんルーフェは快く引き受けた。実際、ルーフェのケーキ作りの腕前はかなり本格的だった。大人でも敵わないほど、きれいに仕上げるコツを心得ていた。
「ところで、誰を招待するの?」と、ルーフェ。
「今のところ、あんた以外では、ケシーとシンディとリンゼー。それからお隣りの人達、叔母のミセス・ミューゲ…お母さんの妹なの。スウィーばあやのお友達も来るし、ローラの仲良しも何人か…。お父さんだけは、友達は誰も呼ばないって言ってたわ。パーティーなんて、ただくだらないことを笑いあうだけの遊びだと思ってるからですって。招待した人達は、そのくらいよ。あんまりたくさん来てもらっても、庭がぎゅうぎゅうになるだけだものね。今度のパーティーはあたしの足が治ったことのお祝いなんだって、ばあやが言ってたわ。だから、本当の知り合いだけで小さなパーティーにするつもりなの。」
  話を聞きながら、何を着ていこうかしらと楽しく想像し始めたルーフェは、ふと思い出して、ポケットからガラスの小瓶を取り出した。メリーラが不思議そうにそれを見る。
「何なの、それ?」
「分からない?ほら、ここに水がもれないように栓がついてるでしょう?魔法の泉の水を少しもらっていこうと思って。何といっても魔法の水だもの、きっと麗しい成分に違いないわ。スミレの香水作りには、この水が一番いいと思うのよ。魔法を帯びた紫色をしているし、とてもロマンチックだわ。」
  なんて"潤いのある"考え方だろう、とメリーラは感心した。魔法の泉の水を、香水作りに使うなんて魅力的!ルーフェの幸せそうな微笑を見ていると、彼女がどこにいても、何をしていても、どんな変化が訪れようとも、いつでもスミレのように優しい微笑を絶やさないだろうという気がした。
「スミレの香水をつけて、あなたのガーデン・パーティーに行くつもりよ。あなたもスミレは好きでしょう、メリー?成功してたくさん香水を作れたら、あなたにも分けてあげるわね。きれいな新しい小瓶に入れてプレゼントするわ。」
  優しいのは微笑だけじゃない、ルーフェは心優しい天使みたい。メリーラはそんな友を持った幸福が嬉しくなった。
  ガーデンパーティーの当日、ケーキ作りを手伝いにルサフォード邸へやって来たルーフェは、困りきった顔をしていた。朝から激しいどしゃ降りだったのだ。雨の音は耳に痛いくらいで、庭の芝生は泥のぬかるみに沈んでいた。空は見たこともないほど暗い灰色の巨大な雲に覆われ、晴れた日の青空の記憶を薄れさせた。雨の勢いはまるで、天に忍び込んだ悪魔が投げる槍が、鋭く地面に突き刺さるようだった。屋根を滝のように流れ落ち、花をしおれさせていた。しかも当分の間、やみそうになかった。風はうなりを上げて吹き荒れ、玄関にかけこんできたルーフェのスカートは、搾れば水のしたたりそうなくらい、びしょ濡れだった。ルーフェは息を弾ませながら言った。
「どうしましょう?メリー、この雨…」
  天候を司る神がいるなら、祈りたい心境だった。メリーラは沈んだ調子で答えた。
「パーティーは中止にするしかないわ。庭はもう、真夏のチョコレートみたいにぐちゃぐちゃだもの。今日一日降りそうだし、まだご馳走は作っていないし、みんなまだパーティーのこと知らないし…」
  普通なら、当日急に招待しても来られないことがあるから、前もって知らせておくものだが、今回のパーティーは大変小規模に催すつもりだったので、多少人数が少なくてもかまわないという考えから、当日の朝電話で招待することになっていたのだ。メリーラは深いため息をついた。「シンディやケシーに電話する必要はないわ。他の人達もそう。計画がすっかりだめになってしまったわ…」メリーラは悲観にくれていた。あれこれ悩んだり解決策を考えるより、あきらめて思いきり嘆いている方が気がまぎれた。しかし、ルーフェは明るく打ち消した。
「あら、そんなことないわ。家の中でパーティーを開くという方法があるわ。もちろん、そうなると限られた人達しかよべないけど…。あんたの好きな、親しい人達だけよべばいいのよ。小さなおしゃべりパーティーでもしましょうよ。」
このアイデアに、メリーラの頬に光が灯り、大喜びで賛成した。結局、パーティーに呼ばれたのはシンディとリンゼーの二人だけだった。二人が来るまでに、ルーフェは一旦家に戻り着替えてくることにした。ケーキ作りのため、汚れてもかまわない古着を身にまとっていたのだ。メリーラは、ルーフェがいなくなると自分の部屋の衣装鏡の前でオパールグリーンのワンピースに袖を通し、独り言をつぶやいた。「この暴風雨の中を、みんなは無事にうちへたどり着けるかしら?」
  果たして、よばれた者は皆、集まった。ルーフェの言う"おしゃべりパーティー"では素朴すぎると思ったメリーラは、"語らいの会"へようこそ、と皆を招きいれた。居間に集まった4人は、遠くから見れば花が咲きそろったようだった。メリーラのグリーンの服はさわやかなミントで、ルーフェの薄紫の服はもちろんスミレ、シンディの白い服はスズラン、リンゼーのピンクは野ばら。語らいの会にふさわしく、騒々しく楽しいおしゃべりが始まった。メリーラが最初に発言した。
「外は雨だけど、ここは青空の下だと想像してね。みんな、めいめい自分の好きなものを言い合いっこしましょうよ…、じゃあ、ルーから」
「スミレ!」と、間髪を入れずにルーフェ。
「スミレ色も、スミレの香りも大好き。スミレ以外では、手の込んだ刺繍や、レースの小物。宝石だったらアメジストや紫ヒスイ。ラベンダー畑やパンジーの花壇も好き。それから、夕焼けの空の色…紫陽花のような青紫の雲とか。シルクやビロードのリボンを集めるのも好きよ。最近凝ってるのは香水作りかな。果物では、ブドウにプラムにブラックベリー。ワインの香りも好き。」
「あんた、それみんな紫のものじゃないの。」リンゼーが呆れ顔で指摘した。リンゼーのようなピンクの野ばらには、神秘的な紫の魅力が分からないのだった。ルーフェが気を悪くするといけないので、あわててメリーラが割り込んだ。
「次はあなたよ、リンゼー。あなたの好きなものを教えてちょうだい。」
リンゼーはゆっくり微笑みながら話し始めた。
「赤い夕日よ。真っ赤に熟したリンゴとか、真紅のバラとか、イチゴ酒とか。さくらんぼやアンズも大好き。宝石ならルビーとガーネットね。」
ルーフェは大きな努力で、「みんな赤いものばっかりじゃないの」と言ってやりたいのを我慢した。
「シンディは?」
「私はね、きらびやかなものが好き。ダイヤモンドの王冠とか、真珠で飾られた、女王の赤いビロードの靴とか、氷の宮殿とか、お城の美しい金の馬とかね。魔女の水晶玉や、魔法の杖や、いつでも好きな時に空を飛べる銀の腕輪とか。だってこういう種類のものって、いつまでも消えない、夢と魔法の命が吹き込まれてるみたいなんですもの。」
「おとぎ話みたい。」と、またもやリンゼーが水をさしたので、今度はルーフェが話をそらした。
「メリーの好きなものも、聞かせてもらいましょうよ。」
 メリーラは語りだしたが、徐々に目が輝きを帯びてくるのが誰の目にも分かった。
「ハープを持って、スズランの花冠をかぶった天使…庭いっぱいに広がるハーブの茂み…魔力を秘めた、冬の精の鏡」これは、ルーフェにしか分からなかったが、つまり池に張る氷のことだった。「マーガレットの根を詰めた匂い袋、苦よもぎの香り、懐かしい匂いをふっと運んでくるそよ風…チューリップのつぼみを開く、春の小人…ムスカリの根元に隠れて雨をしのぐ星の子供…どこまでも澄み渡った、果てしない空。」
 きらびやかなおとぎの国に住んでいるシンディには、これらのものすべてを楽しく想像することができた。が、現実的なリンゼーは何の感動もなかったらしく、とげとげしく言い放った。
「あんたが言ったものはみんな、この世にないようなものばかりじゃないの。」
「あら、あんたには分からないのね」やられてばかりはいないわよ、というところを見せるために、シンディが反論した。「心の中で生まれた、光でいっぱいに包まれた言葉や想像が、どんなに素敵で気持ちの良いものかということがね。」
 ルーフェは言葉にこそ出さなかったが、心の中で考えた。「リンゼーったら、誰が言ったことにも、いちいち何か文句をつける癖があるらしいわ。」しかしそれから後に繰り広げられた楽しいおしゃべりの中に、リンゼーのいやな癖は影を潜め、語らいの会は笑いに充ちたものとなった。ただ一人ルーフェだけが、帰り際メリーラに感謝を表した。
「今日は面白い時を過ごせたわ。雨は相変わらずだけど、あなたが言った通り『中は青空』だったわね。ところで、あなたのそのワンピース、すごくよく似合ってるわ…『氷の乙女』みたい。」
 抽象的ではあっても、こうした風変わりなほめ言葉をメリーラは好んだ。
「ありがとう、『スミレの乙女』さん。」

 ある金曜日の夕方、カーネーションの香りをしみこませた桃色の封筒が、ネリル宛てに届いた。ネリルは夕飯の支度があるので大急ぎで手紙を読むと、歌いながらキッチンへ飛んでいった。
「ばあや、聞いてくださいな。明日から一週間、妹のミューゲがうちへ遊びに来るんですって。あの子は花が大好きだから、部屋中花で埋めつくしておきましょうか。まず、客間を快適に整えなくては。"海の部屋"と"森の部屋"と"薔薇の部屋"、どこへ泊まってもらいましょう?」
  ルサフォード邸にはテーマの異なる三つの客間があった。スウィーばあやは迷わなかった。
「花好きな人なら、"薔薇の部屋"以外にないだろうね。」
  "薔薇の部屋"は、文字通り何から何まで薔薇で統一してあった。敷物も、寝具もクッションも、壁紙もカーテンも、家具やランプ、小物にいたるまで、薔薇色か、薔薇模様なのだ。ただひとつ、この部屋で違う色を持つものは、モス・グリーンの花瓶ぐらいだった。スウィーばあやは、部屋を整えるのが得意なメリーラに、"薔薇の部屋"の準備を任せた。
メリーラはこの客間に足を踏み入れるのは久しぶりだった。内部を見渡し、この暑い夏には"海の部屋"のブルーや、"森の部屋"のグリーンの方が涼しげで、叔母さんも喜ぶのではなかろうか?と疑問を抱いた。しかし、ばあやの決めたことは滅多に変更されることはなかった。長い人生の経験に基づいて、生まれる言葉なのだから。子猫のプラムガールでさえ、ばあやの言いつけにはよく従った。メリーラは、"薔薇の部屋"が涼しげに見えるよう、知恵をめぐらせ始めた。まず、薔薇色一色の部屋に、白いものを置くことを考えた。さらに緑のものを増やせば、爽やかな印象になるのではないか。そこで、屋根裏へ行き、純白のクッションカバーを持ち出してきて、薔薇色のカバーと取り替えた。次に、モス・グリーンの花瓶にいっぱいのマーガレットを挿した。ばあやに教わったとおり、水中で茎を切り、より長持ちするように気をつけるのを忘れなかった。それから、薔薇色の掛け時計と、デスク周りの小物とカーテンを、みんな緑のものに換えた。この時点で、部屋は十分に清涼な雰囲気を漂わせるようになった。最後の仕上げに、メリーラは屋根裏・u桙ナ見つけた残り少ないルーム用フレグランス"ウッディ・グリーンの香り"を部屋中にシュッ、シュッと吹き散らした。さらに"秋の花かご"と呼ばれている暖色系のドライフラワーのかごを、飾り棚の中央にさり気なく入れておいた。こうして"薔薇の部屋"は、ピンク一色の甘ったるい感じから一変して、薔薇好きの王女が住む、香り豊かな森の王宮と化したのだった。部屋をのぞきにきたネリルもスウィーばあやも、目を見張るほどの変わりようだった。二人とも、本当に全部メリーラが一人でしたのかと驚きつつ、娘のセンスの良さを喜んでいた。
 翌日、ミセス・ミューゲは、ネリルの栗色の馬車での迎えを断って、自然と親しみたいから、と歩いてルサフォード邸へやってきた。メリーラはこの叔母に会うのは初めてだったが、一目見て好きにならずにはいられなかった。居間に通されたミセス・ミューゲは、メリーラの好きな"潤いのある"姿をしていた。後にルーフェに語ったところによると、
「天使のように優しげな微笑をたたえた叔母なの。」
 その通り、ミセス・ミューゲは実に優しさあふれる人物だった。花好きの叔母は、夏には珍しい薄雪草という白い花をブーケにして持ってきていた。それはネリルへの贈り物で、ネリルの手によってすぐに、乳白色の花瓶に活けられた。メリーラの言葉を借りると、ミューゲ・トリプシルとはこんな人物だった。
「背はそんなに高くなくてね、髪は絹のようなブロンドなの。目は、見たこともないくらいきれいなエメラルドグリーンで、しかも少し空色が入っていて、クリスタルみたいなの。とてもほっそりしていてね、モデルのような脚なのよ。年は32だけど、赤ちゃんみたいにふわふわの肌で、ジャスミンのようないい匂いがするの。白い手に、オパールの指輪をはめていたわ。真っ白な腕時計をつけていて、文字盤のところが真珠みたいに七色に光るの。レースやフリルの多いアイボリーのワンピースを着ていて、まるで淡雪の国の女王みたいだったわ。とにかく、どこから見てもミューゲ叔母さんって清らかなのよ。天使みたいに、善い行いしかしたことないんじゃないかしら。春のそよ風を想わせる、気持ちのいい人よ。好きな花は、スズランとかすみ草なんですって。叔母さんの名前の"ミューゲ"もスズランという意味なのよ。叔母さんにあだ名をつけるとしたら、"フローラル・プリンセス"かな。花冠とか、本当によく似合うと思うわ。まばゆい金髪なんですもの。」
 ミセス・ミューゲの正確な名前は、ミューゲ・トリプシルといった…これを知った時メリーラは、トリプシルという響きは天使にふさわしいと感じ、嬉しくなった。
  "薔薇の部屋"へ荷物を置きに行ったミューゲ叔母は、薔薇はもちろん、マーガレットの花瓶や"秋の花かご"に気がついて、感嘆の声を上げていた。ネリルもスウィーばあやも、内心メリーラに感謝した。自分たちでは、そんなに感動を与えるような部屋作りは出来なかっただろう。叔母は、部屋をきれいにしてくれたメリーラとお友達になりたいわ、と庭の散歩に連れ出した。叔母は、メリーラとそっくりでとてもおしゃべりだった。一旦話し始めた叔母は、火のついた油のように明るく、勢いが良かった。「ねえメリーラ、いきなりニックネームつけちゃっていい?ご存知の通り、私は大の花好きで、友人には必ず花の名前を工夫してつけるのよ。あなたはリラの花(ライラックのこと)からとって、リーラと命名するわ。どうかしら?」
 メリーラはうっとりして、気に入った旨を伝えた。
「花の名前のついた、私の友人たちの話をしましょうか。あわてんぼのマーガレット、泣き虫のミモザ、わがままなヴィオレット、朗らかなアイリス、楽天家のカトレア、忘れっぽいフリージア、病気がちなデイジー、愉快なリリー。リーラ、あなたはどの子に興味を持った?」
 メリーラは"朗らかなアイリス"と答えた。きれいなミューゲ叔母さんの言うことなら、一言だって聞き漏らしたりはしない。
「いいわ、じゃあその子の話をしてあげる。アイリスは、本名をエミリー・ベルというの。だから、私がつけた名前…自分ではフローラル・ネームと言ってるんだけど…の時は、アイリス・ベルとなるのよ。“エミリー・ベル”はありふれているけど、アイリス・ベルとなったとたん、不思議に美しい人魚の名前みたいになったでしょう?アイリスにまつわる、"悲しみのシンデレラ"の話をしてあげましょう。本物のシンデレラとはずいぶん中身が違うのよ。あのね…」
 アイリス・ベルの"悲しみのシンデレラ"とは、ユーモラスな長い長い話で、この先メリーラが悲しみに耐えられないような時に、きっとこの話を思い出して勇気付けられるだろうと想われた。叔母は次々に、"あわてんぼのマーガレット"や"泣き虫のミモザ"などのエピソードを話してくれた。一通り話し終わると、叔母は周りを見渡しながら言った。
「ところで、この庭は何と呼ばれているの?」
 メリーラは、これまで家の庭に名前をつけようと考えたことはなかった。が、それはとても素敵なアイデアのように思われ、胸がときめいた。
「特に何もないようね。この庭には、ふさわしい名前が必要よ。でも今の状態ではまだまだ花の数が少ないわ。二人で花の苗を手当たりしだいに植えて、この庭を花で埋めつくしましょうよ。花でいっぱいになったら、リーラがこの庭の名付け親になればいいわ。早速明日から、取りかかりましょうね。」
  その後に続く一週間は、メリーラと叔母の間で"園芸週間"と呼ばれた。1日目はコスモス、2日目はスミレ、3日目はパンジーとデイジー、4日目はカーネーション、5日目は百合とりんどう、6日目はラベンダーとカモミール、そして最後の7日目は最も時間を費やして、スズランと忘れな草、ヘリオトロープと水仙を植えた。花々は質の良い土にしっかりと根付き、日が経つにつれ生き生きとしてきた。ミューゲ叔母の手を借りなければ、ここまで完成度の高い庭を作ることは不可能だったろう。メリーラは生まれ変わった庭をほれぼれと眺めた。叔母が帰る日、メリーラは庭に出て、一番よく咲いているラベンダーでブーケを作り、叔母へプレゼントした。叔母はバラ色の頬をほころばせて喜び、鈴のような声で礼を述べた。
「リーラも、花が大好きになったでしょう?」
「ええ、叔母さんに負けないくらい好きになったわ。それぞれきれいなんだけど、いろんな種類の花が寄り集まるとさらに美しいわ。花のオーケストラみたいよ。」
「それを聞いて嬉しいわ。じゃあ、あなたの大好きな花の庭に、何かふさわしい名前をつけてあげて?」
 メリーラの胸の内に、この庭が完成したときにひらめいた名があった。
「"麗花の宮殿"にしようと思うんです。」
 おとぎの国の住人であるシンディが好きそうな、みやびやかな名前だった。ミューゲ叔母はその名を聞いて嬉しそうに微笑むと、来たときと同じく、ネリルの馬車を断り、のんびり自然と親しみながら、ルサフォード邸を後にした。




著作者:天羽 沙雪      ホームへ
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