幸せの謎解き
カテゴリ、キーワード ファンタジー小説 短編 ヨーロッパ  著作者:箱屋ハコ   著作者の作品一覧へ    ホームへ


[あらすじ]
ある横丁で働く少女と売れない記者の“幸せ”をめぐるお話
幸せの謎解き
「幸せは誰が運んでくれますか」
 突然かけられた声にハイセンは僅かに身じろいであたりを見渡した。しかし、すぐに声の主は見つかった。ガヤガヤとした横丁に面した、ちょうどハイセンが通り過ぎようとした店の軒先にその少女は座っていた。栗色のお下げにカントリーハウスのワンピースがよく似合っている。
 店に出す品物なのか、真っ白なタマゴをカゴいっぱいに詰め込んで、彼女はそれにペイントをしていた。地下の町工場でチョコレートを原型をとどめたタマゴの殻に流し込んで出荷しているものがあるらしい。きっとそれなのだろう。そういえばもうすぐ復活祭だったな、とハイセンは思い出した。
「それは僕にいっているのかい」
「ほかに誰もいないわ」
 そっけなささえ感じるものいいに、ハイセンは少しムッとした。自分から呼び止めておきながらなんだっていうんだ。それにこの横丁には溢れるばかりに人がいるというのにだ。
「蒼い鳥の話をしているのかい。あいにく僕はその話には興味はないな」
 ハイセンはうんざりそうに云うと、少し先の店の看板についた時計を眺めた。汽車の時間にはまだ少しあった。近頃ではどこがいいのか判らないが、蒼い鳥の話ばかりを書く連中がいて、いい加減にハイセンは厭になってきていた。仕事仲間のゴシップ記者までもが、在りもしない鳥に思いをはせている有様にハイセンは吐き気すら感じていた。
 それにあわせてこの少女の可愛らしくない態度が乗っかって、今までにないぐらい厭な気分だった。早く家に帰って今日やっと漕ぎ着けた仕事をしなければいけないというのに。
「そう。でも、もし幸運を手に入れる方法があるとしたらどうかしら」
「不運は、幸運とは比較にならないほど、人間によく似合っている、とよく云うだろう」
 幸せなんて言葉こそインチキ以外のなんでもない。そうでなければ麻薬のように麻痺を起こして溺れさせる毒だ。だからといって不幸が良いというわけではない。追い求めすぎはよくないということだ。あるいは、幸せでなければ不幸だという考えこそが幸せな人間によって作り上げられた幻影に過ぎないのかもしれない。
 しかし、これがまた人間てのは本当に不幸が似合っている生き物だ。嫌味なぐらいに。あがいたところで不幸という磁力に引っ張られる。その力に逆らうには相当のエネルギーが必要になる。かなりの無駄といえるかもしれない。だけれど、ハイセンは口にするのをやめた。別に彼女の夢を台無しにしたわけではないのだ。ハイセンはそろそろ汽車に乗る時間だと、立ち去ろうとした。だが彼女は諦めなかった。ハイセンの外套の裾をつまんで彼が歩き出すのを阻みながら云った。
「そんな言葉で片付けて欲しくはないわ」
 足元の地盤が崩れていくような不安を感じて、ハイセンは眉間に皺をよせ、少し苛立ちぎみに声を張り上げた。
「それじゃあ、君は一体どうしたいんだい」
2人のそばを通りかかった数人が振り返った。それでもハイセンは続けた。
「何処に居るかもしれない蒼い鳥を捕まえに行きたいのかい」
 周りからどう思われるかよりも、今は自我の方が天秤の上では重かった。こんなことは珍しい。ハイセンは言葉を発しながら自分でも驚いた。しかし、それは顔にはださいない。出してしまったら最後という気がしたからかもしれない。
「蒼い鳥なんて興味はないわ。私は謎を解きたいだけなのよ」
 ハイセンとは逆に彼女は静かにそう応えた。路地ですぐに剥かれてしまうであろうものにペインティングしているとは思えない胆の据わりように、ハイセンは気をそがれぽかんとした顔で聞き返した。
 実のところアパートに帰ったところで特に書きたいネタもなかった。構想していたものはただの政治批判だった。だからというのか、彼女の話の方に興味を引かれていた。苦いと判っているコーヒーよりも、まだ食べたことのない料理が気になるに決まっている。そうハイセンは自分に言い聞かせることにした。どのみち今更あがいたところで汽車にはもう間に合わないに違いない。
「謎を?」
 気持ちを落ち着かせるように、ハイセンは一字いちじを丁寧に発音した。
 しかし、これまでとは逆に少女は燃え立ったように、駄々をこねる子供よろしくスカートをバタバタと叩いて云った。
「そうよ。今までにだっていろいろな謎を解いてきたの。でも、幸せを手に入れる方法についてはまだこれっぱかりも判らないの」
 お下げが振動で左右に振れる。姪がぐずるときによく似ている、とハイセンは思った。そうか、女はみんなこういう無駄な動作をするのか。ある種の発見だったが、こう云ったことに着目している自分もずいぶんと無駄なことをしている。だが、この世の中で無駄ではないことの方がマイナだ。つまり少ない。他人の役に立つようなことはほんの僅かしかないのだ。
「君に無理なら、僕にはわからないね」
 一体なにを指して謎と云うのか。科学と文明の発達によって多くのものが解明されているなかでは、子供騙しのような謎はもう謎ではなくなっている。鍵の掛かった部屋を密室と安易に決め付けるのと同じになってしまう。そもそも密室で殺人が起こるわけないのだ。たいていは殺害後に密室をして仕立てられたいわば偽物。純粋なものは殆どない。謎もまた同じだ。手品にだってネタは必ずどこかに仕掛けられている。見ている視点が違うから判らないだけなのだ。視野が広ければそんなことで悩まされることはない。
 結局、謎は謎という袋に入っているから面白いのだ。もし開けてしまって正体が判っても、がっかりするか喜ぶかは半分の確立。さらにその後もその楽しみが続くかと云えばそうではない。
 そんなハイセンに少女は唇を尖らせ、芝居のセリフのように両手を振り動かした。
「なぜ諦めてしまうの。幸せになれば自由な生活が手に入ると思わない」
「自由を勝ち取るためには戦わなくてはいけない、というのは非常に不自由なことだ」
「小難しいことを云うのはやめて。私は不自由だってなんだっていいわ」
少女は眉をひそめた。
「矛盾してはいやしないかい」
「矛盾なんてしていやしないってば」
「そう」
 ハイセンは眼鏡を指で押し上げながら呟いた。娘というのはどうも煩くていけない。もっとおとなしくしていればいいのに。
 少女はさらに声を大きくして叫んだ。
「私は矛盾についてお話したいわけじゃないのよ」
「幸せになりたいのかい」
 ふと思ってハイセンは彼女に訊いてみた。あたりはすっかり緋色に染まり、家路へ急ぐ人々に寄って通りから人が徐々に減っていく。
 どうして人が幸せに拘って追い求めるのか不思議に感じた。与えられているものがあるならばそれでもう十分だと思うし、それ以上のものを求めるのは強欲と云うよりも傲慢だ。
「そうよ。誰だって普通幸せになりたいわ」
 少女はいかにも当然、と云った風に首をかしげた。
「普通って云うのはどういうことを指すんだい」
「だから常識的に考えてよ」
「常識とは、18歳までに身につけた偏見のコレクションのことをいう」
「あなたみたいな偏屈な人ははじめてよ」
 ついに少女は呆れ雑じりにため息をついた。
「初めてとはうれしいかぎりだよ。僕は他人と同じなのは厭なんだ。なんだか工場の型枠で作られたみたいだろう」
「まあ、なんてことを云うの」
「お嬢さん、自由とはそう云うことを云うのだよ」
 ハイセンは微笑んで云うと、彼女も同じように微笑をかえした。はじめからそれが目的であったかのように。
「あなたに今日出会えてよかったわ」
 時計のついた看板に視線を送りながらハイセンは呟いた。
「謎は解けたのかい」
「いいえ」


※一部アインシュタイン150の言葉から引用しました。


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