手枷
短編  文字数約2070字
著作者:ジョゼ   著作者の作品一覧へ   ホームへ


[あらすじ]
嘘で煌く世界の果てに、僕は何を掴めば良かったのだろうか。
手枷
嘘で煌めく世界がある。
愛を語りながら憎しみ合い罵り合う。
だからこそ美しいのかもしれない。

僕はその瞬間、確実に死んでいた。
只、ある真実だけに囚われた。
生きていて死んだというだけだ。

「空、見てごらん」

隣にいる母さんが煙たげに煙草を吹かしながら言った。
僕は煙に目を細める母さんの顔が嫌いだ。
いや、あるいは好きだからこそ、なのかもしれない。

そう思いながら、ゆっくり顔を上げた。
焼けるように眩しい光が目を突いた。
僕はとっさに右手を額に翳して光を遮断しようとした。
だが、だめだった。

つまりなんだ。
僕には右手が存在していないのだ。
詳しく言うと、右手は動かない、と言うことだ。

どうしてなのか?
そんなことは言えないよ、母さんと僕だけの秘密だからね。

「最悪の天気ね」

母さんはそう言いながら、また僕の嫌いな顔をしてみせた。
僕も同じような顔を作りながら、そうだね、と言った。
とても嫌そうにしなければならないのだ。

いつからだろうか。
僕は母さんと一心同体で在らなければならかった。
そうでなければ、僕は存在意義が無くなってしまう。

母さんが、良く、無意味なものは捨てろと言っていた。
どこかで僕は捨てられるのを怖がっている。

母さんは病んでいる。
僕も小学4年生になったから理解出来るようになった。
と言っても学校には通って居ないけど。

母さんは学校を人間製造所と呼んで居た。
だから僕も学校を「にんじょ」と略して呼んでいる。
そうすると、母さんはいくらか、ほっとした顔をするのだ。

先ほども言ったが母さんは病んでいる。
だから仕方ない、僕はそう思うことにした。

「あんた、あたしのこと好き?」
「大好きだよ、母さん」
「あたしを捨てないでね」

母さんはこの言葉が口癖だ。
僕はその度に吐き出しそうになる「何か」を飲み込み、
必死に笑顔を作りながら答える。

だが、それも無意味だ。
母さんは僕の顔なんか見ちゃいない。
いや、元々、僕には顔なんてないのかもしれない。
こんな言葉さえ全て無意味である。

つまり母さんには僕が存在していることも、
母さん自身が生きていることも無意味なのだ。
僕は常々そう思いながら過ごしている。

「こんな空、泳いでみたいわね」

母さんは真っ青な空に向かってベランダから身を乗り出した。
僕は慌てて、危ないよ、と言った。

「そう?じゃあ助けてよ」

母さんはそう言いながら、
煙草の煙に一層目を細めながら言った。

「無理だよ。僕これだもの」

僕はそう言って両手に着いている手枷を見せるようにして言った。
内心ビクビクして居たが、今日の僕は何故か大胆だ。
母さんは、僕が手枷の事を口にすると酷く機嫌が悪くなる。

また、何をされるかたまったもんじゃない。
そう思いながらも、僕は手枷の事を口にしてしまった。

「ふふ、そうだったわね」

今日の母さんは変だ。
何故か嬉しそうに微笑みながら僕のとこまでやってきた。

「外してあげようか?」

母さんは耳元で、優しく囁いた。
僕は慌てて首を振った。
母さんはそんな僕をみて面白そうに吹き出した。

「いいのよ、母さんを捨てないって誓うかしら?」

初めて受ける質問に僕はまた慌てた。
少しでも回答を間違ってはいけないのだ。
僕が必死に考えていると、母さんがそっと、頭を撫でてきた。

「良い子ね。母さん、嘘は嫌いなの」
「え?」
「もし、捨てないよ、とあなたが言ったら…」
「言ったら?」
「そうね、殺すつもりだったわ」

母さんはそう言って、僕の手枷を外した。
何年ぶりだろうか。
お風呂の時も寝る時も付けて居たので、
僕の手は酷くなまってしまっていた。

「なんだか、変な感じだよ」

僕はそう言って照れたように笑って見せた。
母さんも同じように笑って、立ち上がった。

「本当に最悪の天気だわ」

母さんはそう言って、またベランダから身を乗り出した。

「危ないよ」
「本当に憎らしい空ね」
「母さん?」

僕の声は母さんに届いて居ないようだった。
僕がもう一度、危ないよと言った瞬間、
母さんはとても青い空を泳いでいた。
そして落ちた。

僕は何故か少しだけほっとした。
そして、ほっとした自分を恨めしく思った。
僕はどこかでそれを願っていたのだろう。

ここはマンションの12階だ。
母さんは生きちゃいない。

僕はそう思ったのだけれど、
形だけの希望を取り繕って下を覗いた。
少しだけ足が震えた。

母さんは変に手足が曲がったままうつ伏せに倒れていた。
血は思ったより出てはいなかった。
なんだか小さな人形が落ちているみたいだ。

僕はそんな、非、現実的光景に少なからず酔っていた。

まもなくして、遠くから救急車のサイレンが聞こえた。
きっと母さんを運ぶのだろう。

僕は何とも言えぬ思いを抱きつつ、
ただ、ただ、ひしゃげた蛙のような母さんを見ながら、
母さんが僕に言った言葉を思い出してた。
母さんは本当にそれを実行してくれたんだ。

僕はその瞬間、確実に死んでいた。
只、ある真実だけに囚われた。
生きていて死んだというだけだ。

嘘にまさる真実はなく、
嘘にまさる綺麗もなかった。

僕はどこまでも嘘つきである。
そうだ。
生きていること自体が嘘なのだろう。

何もかも、何もかも「ない」
全て無意味でなければならなかった。

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