天使をかたちどったもの
ファンタジー小説 童話  文字数約7800字
著作者:しぇりる   著作者の作品一覧へ   ホームへ


[あらすじ]
天使になりたかった少女、天使を造りたかった少年、そして天使を生んだ母。少女は、幸せだったのだろうか。
天使をかたちどったもの
「でもね、愛してたんだよ。誰もが、少女をね。ただ、その愛の形が様々だっただけさ。少女にとっては、何が幸せだったんだろうね。だけどひとつ言えることは、少女に関わる全ての人がいたお陰で、この世界は今尚存続しているってことさ」


 *-*-*-*-*-*-*-*

 一人の赤子が、病床で苦しそうに息を弾ませていた。その瞳は固く閉じられ、泣き声さえあげられない状況で、赤子は酸素を求めた。
「あぁ、もう限界だわ。この子はあの方の元へ連れて行きます」
 瞳に涙を浮かべ、母親は赤子を抱き上げた。反射的に、夫はその手をしっかりと握った。
「落ち着け、あいつの所に行けば、どうされるか分からない」
「じゃあこのまま、我が子が苦しんでいるのを見ておけって言うの!? もう死んじゃうのよ!」
 金髪の母親は、狂ったように叫び声をあげた。悲鳴に近い声だった。黒髪の夫は押し黙り、きゅっと唇を結んだ。
 赤子は母親の手の中で、手を差し出して何かを求めている。
 母親は踵を返して、静かに降る雨の中を駆け出して行った。

 棒のように言うことを聞かない足を叩き、急な斜面を登って行く。
 自分に鞭を打ち、何時間もかけて頂上まで辿り着いた時、ほっと安著の息を漏らした。
 鉛色の空の下、雲に聳える山々は深い霧に覆われて殆ど見えない。雨は段々と激しくなっている。
 母親は手の中の小さな命を確かめながら、ぎゅっと抱きしめた。

 *-*-*-*-*-*-*-*

 丘の上には一軒の小屋があった。

 コンコンと数回ノックをしてみても、返事はない。母親は躊躇せずに、ドアを押し開けた。そこには、白衣を着た男性の小さな後姿があった。
 机に向かってペンを走らせている。余程集中しているのか、こちらには気付いていない。
 部屋の中は薬の臭いが混ざり合い、所々にビーカーが置いてある。横には山のように本が詰まれていて、奥に繋がる部屋は黒いカーテンで覆われていた。
「あの…」
 母親の声に、ペンが止まった。
 くるりと椅子を回転させて、小柄な男性はこちらを見遣った。
 彼はボサボサの黒髪を弄り、茶色の瞳でローズを見る。その顔立ちといい仕草といい、彼は少年そのものだった。
「なんだ、ローズさんか。ノックも無しに入ってこないでよ」
 もう一度椅子を回転させ、興味が無さそうに机に向かった。
「お願い、この子を助けて!」
 悲痛な声が部屋に響いた。小柄な背中は暫し動きを止めると、もう一度くるりと回転する。次に表れた表情は、取引に成功したような、皮肉のこもった微笑みだった。
 しかし、母親ローズは意に介さず、
「放っておいたら死んじゃうの…。お医者さんに行くお金だってないの。お願い、何でもするわ」
「いいよ。ローズさんの頼みだものね」
 不気味な程にあっさりとした口調に、ローズは希望に満ちた顔をあげた。
「やめてよ、そんな顔するの。もちろん条件付きだよ」
「分かってる。言ってちょうだい」
 少年はわざとらしく唇にペンを押し当て、椅子を一度回してみせた。一回転した後、少年は唇から笑みを零した。
「じゃあ、その子を僕にちょうだい」
 刹那、雷が外を切り裂いた。

 *-*-*-*-*-*-*-*

 暫し、ゴウゴウと唸る風の音以外は耳に入らなかったが、やがてローズの唇から小さな声が零れ落ちた。
「ティール…。お願い」
「だめだよ。もし条件を飲まないなら、ここで取引は終わり」
 どうする、とでも言わんばかりに、ティールは首を傾げた。
 ローズは視線を落としながら沈黙を守るも、それは手の中の命によって霧散した。
 赤子が苦しそうに咳をし、息を乱している。
「ほら、どうするの。早く決めてよ、僕も忙しいんだよ」
 母親は、ぐっと拳を握り締め、唇を噛んだ。暫く震えていたが、やがて唇から噛み潰したような声が零れ落ちた。
「わかったわ。その代わり、時々、会わせてちょうだい…」
 ティールは微笑んだ。頬に出来た笑窪が、彼の幼さを助長していた。
「いいよ。じゃあ、その子を渡して」
 ローズは立ち上がり、徐にティールに歩み寄った。
 赤子をぎゅっと抱きしめ、小さな額にキスをして、何度も耳元でその名を呼んだ。
 ティールが両手を差し出すと、母親は涙を流しながら、小さな命をティールに差し出した。
「じゃあ、今から手術するから帰って」
 立ち上がり、冷たく言い放つティールの後姿を見て、ローズは呟いた。
「ティール…。それが愛された子よ。忘れないで、それが命の重みなの」
 ティールは一瞬足を止めたが、振り返りもせずにカーテンの向こうへと消えた。
 伝う涙を拭いもせずに、ローズは胸の前で手を組んだ。
「主よ、我が子にどうかご慈悲を。そして罪深き私に罰をお与えください」


 *-*-*-*-*-*-*-*

 あれからもう、五年もの月日が経っていた。

 吸い込まれるような街並に、自分よりも小さめの人々。
 全ての世界を見下ろすように、少女はそこに立っていた。小鹿を彷彿させる大きな黒目がちの瞳は、柔らかな眼差しで地上を見つめていた。路地裏に溜まる踊り子たち、橋の上で遊ぶ子供。バイオリンを演奏する男性、それを見物する人たち。それが世界の全てだと思っていた。下り立つことは叶わない、希望に満ち溢れた世界だと。
 透き通るような風を身に受け、ちょうど肩まで伸びた黒髪が揺れる。
「ネリー、また見てるのか」
 ふいに、やさしい声が耳に飛び込んだ。ネリーは振り返り、声の主を見上げて頬を緩ませた。
「あのね。こうしていると、まるで天使になったみたいなの」
「天使か。それはいいね」
 少年はネリーの隣に並び、同じように街並みを見下ろす。その瞳は、悲しい色を宿していた。
 ネリーは少年の顔を覗き込み、首をかしげ、
「どうしたの、ティール。こんなに綺麗なのに、そんな顔しちゃ駄目じゃない」
 ティールはネリーを一瞥した。
「綺麗だね。とっても綺麗だけど、いつ崩れ去ってもおかしくない儚さを秘めてる」
「はかなさ?」
「そう。とってもとっても、儚いよ。そうだな、僕ら人間の命みたいだ」
 うーん。ネリーは小さく唸り声を上げ暫く考え込んでいたが、やがてその表情は緩められた。
「よく分かんないけど、ネリーはティールのこと大好きよ。だからそんなかなしい顔、しちゃだめ」
 ね? と、皮肉も汚れもなく笑うネリーを見て、ティールは双眸を弓の形に細めた。
 ちくり、ちくりと罪悪感が胸を刺すのが分かった。ティールは、思考を霧散するように首を左右に振り、ネリーに微笑んでみせた。
「ねぇ、ネリーは将来何になりたい」
「天使!」
 迷う暇もなく言い放つネリーに、ティールは思わず苦笑いを零した。
 ネリーは他にあるべきものを知らない。この間ティールが読んでやった絵本に、聖母が出て来た。聖母は神に自分を売り、生涯をキリストに捧げたと記されていた。命が尽き果てたその時、彼女の周りには天使が現れたという。純白の羽と金色の髪を持った、天使。ネリーはその本が大好きで、ラストになると必ず目を輝かせていた。
「僕としては、聖母の方を目指して欲しいんだけどな」
 ため息を零しながら言うと、
「聖母さんには翼がないもの。もしも私に翼があれば、あの世界に飛んでいけるから」
「飛びたい?」
「うん。絶対に、あの世界に行くの!」
 広げた腕に翼を見て、ネリーは景色を一望した。その横で、ティールはどこか痛そうな表情で小さな少女の姿を見ていた。

 ぎゅっと、拳を握り締める。
 愛しいこの子が、どうか世界の残酷さを知らないまま、幸せでいてくれますように。願いは必ず、叶えてあげるよ。だから安心して、そのままの君でいておくれ。

 *-*-*-*-*-*-*-*


 二日前、閑静な住宅街にティールが訪れていた。決して華やかとはいえず、不気味な雰囲気に支配されていた。
 神像が、所々に置かれてある。教会には人だかりが出来ていて、ドアの前にも、歩くことさえ困難なほどに多くの人が集っていた。
 ティールは人ごみを縫うように歩きながら、なんとかドアの前まで辿り着いた。
 監獄に続くような重いドアを開けると、何人かの修道女が椅子に腰をかけ、祈るように手を組んでいた。中は薄暗く、祭壇だけが明るく照らし出されていた。修道女たちは皆、頭まで覆ってある黒の服を身に纏っている。祭壇には花と蝋燭が添えられ、その上では十字架に磔にされたキリストが、射るようにこちらを見下ろしていた。壁には窓代わりに、明るい配色で聖母が描かれたガラスが施されていた。 

 ティールは、ドンドンと足踏みをして、祭壇の方へと向かった。静謐さを保っていた教会は、ティールの行為によって打ち破られた。修道女たちが、一斉に振り返る。
 ティールは修道女たちの顔を一人一人見渡し、やがて視線を止めた。
「やっぱりいた。ローズさん」

 *-*-*-*-*-*-*-*

 艶やかだった金髪には、所々白が混ざっていた。だが、久しぶりに見たその顔は、以前とまったく変わっていない。皮肉にもよく似ている、と思いながら、ティールは笑みを零した。
 教会から聞こえてくる歌を耳にしながら、二人は人だかりから少し離れた場所に立っていた。
「ローズさん、久しぶり」
 目の下に出来た陰りが、ローズの疲労をよく表している。
「あなた…変わったわね」
「なにが」
 抑揚のない声で、ローズは、
「なにって、雰囲気よ。以前と比べて、とても優しくなったわ」
「そんな顔で言われても嬉しくないよ。それより、なにしてたの」
 真剣な面持ちでローズを見やると、彼女は視線を下に落とし、肩を震わせた。
「何って…これからミサの時間だったのよ。あなたが来なければ」
「そういうことじゃない。どうして、ネリーに会いに来ないの」
 ローズは複雑そうに顔を歪め、暫し沈黙を続けた。だが、ティールはそれを許しはしない。
 厳しい口調で言い放った。
「ねぇ、何があんたを変えたの」
 ローズは静かに首を振り、紫色の唇を震わせた。
「娘は助かったのね…」
「命だけはね」
「…だけ?」
 憂鬱そうに陰っていた瞳が戸惑いに揺れたのを、ティールは見逃さなかった。
 射抜くような目で見つめるティールに気付き、ローズは我に返ったように口元を押さえた。
「あの生まれつきの病は、治しようがなかった。僕は最初、それならばいっそこの赤子を殺して、何かの実験に使おうと思ったんだ。だけど、あんたは僕に言ったよね。それが愛された子だ、と。それが命の重みなんだ、と。その言葉で、僕はこの少女を救ってやろうと思い直した。こんなに想われている子どもが、こんな運命で殺されるのはおかしいと、生まれて始めて思ったんだ。だけど、僕は神様じゃないから、死んでしまう赤子を元気にすることは出来ない。あの子の命を少し引き伸ばすことくらいしか、出来なかったんだ」
 ローズは今にも泣き出しそうな顔で、小さく体を震わせる。ティールは続けた。
「だから、僕はあの子に存在意義を与えることにした。僕らの世界の残酷さを、語り継いでいってもらうためにね。もうすぐ、その時が来る。あの子だけは生き残って、未来に二度と同じ過ちをしないように伝えてもらいたいんだ。あの子は死なない。心は死んでも、体は生き続けてるんだ。人形みたいに、ね」
 棘のように冷たい言葉の裏には、哀しいほどの愛情が篭っていた。

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 ローズはその場に膝をつき、泣き崩れた。ティールの頭を、いつかの情景が過ぎる。グレーのローブに身を包んだローズは、修道女でも何でもなく、ただの母親そのものだった。それを見て、ティールの良心がちくちくと痛んだ。ティール自身、その痛みには驚きを隠せなかった。良心なんて、とうの昔に捨てた筈だったから。
 だが、その思考は、ローズの囁きによって霧散した。
「……魔…」
 ローズは涙に濡れた顔を上げ、ティールを睨んだ。
 その瞳からは、激しい憎悪が嫌というほど伝わってきた。
 ヒステリックに声をあげ、
「あなたは悪魔よ…。どうしてそんな残酷な事が出来るの! そんなのあなたの我侭だわ。綺麗事言って、あの子を大切にしてるようなこと言って。結局自分の道具にしてるだけじゃない!」
 いつもなら口達者に言い返すティールも、その時だけは驚愕に瞳を見開いた。我侭だ、という言葉が、何度も頭の中で繰り返される。真っ白になった思考はやがて止まり、ティールは両手で頭を抱えた。
「…違う。だって僕は、あの子を愛していて」
「やめて! それならどうして、あの子を楽に死なせてくれないの!?」
 ローズの瞳からは、留まることなく涙が零れ落ちる。
 ティールは小さく首を横に振りながら、違う、違うと繰り返した。
「だってあんたは、言ったじゃないか…。この子を助けてくれって」
「確かに言ったわ。だけどあなたは、死ぬよりも残酷なことをしてるじゃない!」
 その言葉に、ティールは唇を噛んだ。血の味が口内に広がり、残酷なほどに「生」を実感させられた気がした。


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 そういえば、ネリーはもうすぐ、こんな血の味も感じられなくなってしまうんだ。だけど、一人で死にゆく運命ならば、心を失くして生き続けるほうがいいだろう?そして彼女の存在意義は、世界で起きた残酷なことをもう二度と繰り返さないように、人々に語り継いでいくことなんだ。そうすれば彼女は、未来の英雄になれる。天使だと崇められるんだ。

 愛情を貰ったことのないティールにとって、それは最高の愛情だった。それを否定されるということは、ティール自身を否定されていることに等しかった。
「ティール…、あなたが言う、世界の残酷さっていうのは分からないけれど。あなたは私に、どうして会いに来ない、って聞いたわよね。それはね、ティール。あの子に会いに行ったら、もう離れられなくなりそうだからよ。それに、あの子はどうしても私の存在を不思議に思うじゃない。後から冷静になって考えたの。あの子のことを思うなら、私は会いに行くべきじゃないって」
「違う、それは押し付けがましい愛情だ。ネリーはたとえ真実を知っても、母親に会いたかったはずだ」
「あなたに何が分かるっていうのよ!」
 悲痛な叫びが辺りに響いた。
 いつの間にか音楽は消え、教会には人だかりが無くなっていた。
「…もう時間がないんだ、もうすぐ僕らはいなくなってしまうから」
 これから、戦争が起ころうとしていた。


 *-*-*-*-*-*-*-*

 目を覚ました瞬間、唇から悲鳴が迸った。体中に激痛が走り、ネリーは咳き込みながら体を二つに折った。暫くすると、激痛は徐々に鈍い痛みに変化していった。
「ティール…」
 少女は蚊の鳴くような声で、その名を呼んだ。
「起きちゃ駄目だ」
 その声に応じ、黒いカーテンに覆われた部屋からティールが出て来た。ネリーはほっとしたように安著の息を吐いたが、すぐに痛みに顔を歪ませた。
「ネリーごめん…。でも、痛いのも今だけだよ。もうすぐ痛みはなくなるから」
 背中が疼く。鈍器で叩かれているような錯覚さえ起こすほどに、痛みはネリーを縛り付けた。
「わたし、どうしちゃった、の」
 うまく言葉が紡げない。ティールは悲しげな眼差しをネリーに投げかけ、
「ネリーは天使になったんだよ。背中を触ってごらん。ほら、髪だって」
「てんし…?」
 夢にまで見たその言葉の重みは、激痛によってすぐに掻き消されてしまう。
 ネリーは徐に、自分の髪を触った。変わらない柔らかな毛並みだが、立派な黒髪は金髪と化していた。
 驚愕に瞳を見開き、起き上がって背中を触った。そこには、確かに羽の感覚があった。
「わたし…死んじゃったのね」
 ティールは首を横に振り、
「違う。あの世界に降り立つっていう夢は叶えられなかったけれど、君は後世に繋がる重大な役割を担う天使になったんだ」
「よく、わかんない」
 ネリーは小さく息を弾ませ、苦虫を噛み潰したように表情を歪めた。
 ティールは汗ばんだネリーの額を撫でながら、そっと瞳に手を置いた。そして何度も耳元で名前を呼び、ぎゅっと強く抱きしめる。
「こんな方法しか見つけられなかったんだ…。生まれ変わったら、必ず君に会いにいくから」
 ティールどうしたの、泣かないで、と言葉を紡ごうとしたが、世界はすぐに闇に包まれてしまった。

 *-*-*-*-*-*-*-*

 その日は、嵐だった。

 これでもかと地面を打つ雨、ゴウゴウと唸る風。高い丘の上で、一人の少女が佇んでいた。傘も差さず、ただ呆然とそこに立ち尽くし、虚ろな瞳で世界を見下ろしていた。
 腰まである金髪はストンと綺麗に伸び、風と共に揺れている。背中には、大きな純白の翼があった。大きな黒目がちの瞳は、どこか小鹿を彷彿させた。朽ち果てた世界しか映さないその瞳は、何の感情も宿していない。
「ティール、セカイハ、滅ビタノ?」
 少女の震える唇から、機械的な声が発せられた。視線を変えずに、再度「ティール」と呼びかける。
 ゴウゴウと、風が唸っていた。少女の小さな声は、誰にも届かずに吸い込まれていった。

 少女の瞳に映った世界は、一晩で違う世界になっていた。目が痛くなる程の赤と黒のコントラスト、大きなきのこ雲。木々の焼ける臭い、血塗られた街。
 だが、少女は平然と、そこから変わり果てた世界を見下ろしていた。


 *-*-*-*-*-*-*-*

「戦争ニヨッテ、人々ハ一度滅ンダ。モウ二度ト、繰リ返シテハイケナイ」

 焼けてしまった丘の上に、一人の少女が佇んでいた。雲ひとつない空はどこまでも広がり、山々は焼けてしまっている。
 彼女の背中にある翼は薄汚れ、艶やかだった金髪の髪も痛んでしまっている。それでも、少女はただ平然と世界を見下ろしていた。以前のように、徐々に明るさを取り戻す世界を。
 再び起ころうとする戦争を、もう二度と繰り返さないようにと。訪ねてきた人々に、機械的な声で少女は語り継いだ。自分が見た世界と、戦争の残酷さ。そして最後に、やはり機械的な声で、もう二度と繰り返さないで欲しいと呟くのだった。

 国家は翼を持った少女を大切にし、人々は天から降りてきた天使だと噂した。
 だが少女は一人になると、同じ言葉を繰り返すだけだった。
「ティール、世界ハ、滅ビタノ?」
 理性が灯ったネリーの瞳から、ひとつ涙が零れ落ちた。
「飛べ、ないよ、ティール……」
 小さな声は、誰にも届くことなく、吸い込まれてしまった。

 ネリーは、薄汚れた羽を広げ、世界をじっと見下ろした。路地裏に溜まる踊り子たちも、橋の上で遊ぶ子供も、バイオリンを演奏する男性も、それを見物する人たちも。
 世界は全てを奪っていった。

 *-*-*-*-*-*-*-*

「そして、その天使がいたおかげで、俺たちは同じ過ちを繰り返さないで済んだんだよ」
 男性が少女の枕元に座り、瞳をぱっちりと開けた少女に微笑んだ。
「天使さんは、かわいそう」
「どうしてだい?」
「だって、ないてたもの。きっと悲しかったんだよ」
 男性は微笑み、
「そうだなぁ、悲しかったのかも。でもね、愛してたんだよ。誰もが、少女をね。ただ、その愛の形が様々だっただけさ。天使にとっては、何が幸せだったんだろうね。だけどひとつ言えることは、天使に関わる全ての人がいたお陰で、この世界は今尚存続しているってことさ。もう百年も前のお話だけれどね」
「…うぅん。よくわかんないけど、パパのことは大好きっ」
 金髪の少女は、にこっと微笑んだ。
 小鹿を彷彿させる大きな黒目がちの瞳は、眠そうにとろんとしている。
 男性は心に愛しさが灯り、思わず頬を緩ませた。
「もうおやすみ、ネリー」
 優しく額を撫で、少女の瞳に手を置いてやった。

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