無邪気な笑顔

著作者:黒田 仁   著作者の作品一覧へ   ホームへ


[あらすじ]
友達と喧嘩をした、たったそれだけの後悔が生んだ悲しみ。
その悲しみの同調が引き起こした少女との出会い。
その少女はどこか不思議で、私に大切なものを教えてくれた。
日記風に綴った作品です。
無邪気な笑顔
 どんよりとよどんだ曇り空が広がる今日、私は友人と喧嘩をした。内容だけを聞けば、とても馬鹿げた話だろう。大したことはない、けれど喧嘩したことは事実だ。もっと友人の気持ちを考えればよかった、けれど自分の意見を曲げるのも嫌だった。
 そんな風に後悔を引きずったまま、今日の授業は終わった。結局双方とも誤ることなく帰路につく。たまにため息交じりの息を吐きながら、私はいつも通学路に使っている道を一人歩いていた。左右には住宅の塀が並ぶ、見慣れた町並みとでも言うのだろう、毎日通っているせいなのか視界に入っているのに何も記憶に残らない。
 けれど私は、そんな日課に含まれた道で彼女と出会った。
「お姉ちゃん、なんで泣いているの?」
 それはとても唐突だった。私は声のした後ろに振り向いた。そこにはまだ五、六歳くらいの少女が道路脇に座って、こちらの顔を不思議そうに伺っている。
「お姉ちゃん、なんで泣いているの?」
 私が呆気に取られていると、少女は再び訊いた。その時、私はその意味がわからなかった。なぜなら私は泣いてなんかいなかったから。
「泣いてなんかいないよ」
 私は少女の前まで行くと、目線を合わせるようにしゃがみ、笑いながらそう言った。その笑顔は、誰が見ても無理に笑っているとわかるくらい、悲しそうに見えた。当然その少女にもそう見えたに違いない。だからなのかもしれない。
「泣いているよ、ずっと……心が泣いている」
 その口調もその言葉も、何かに魅入られている時のように不思議だった。心が泣いている、そんなの実際あるわけもないただの抽象的な表現。けれど、自分にそのまま訊いて見ると、確かに泣いているかもしれない自分がいた。
 だから不思議だった。そんなの自分でも曖昧な答えしか出すことができない、なのにこの少女は、そんな私に気づいていた。
 私は少女の隣に座った。最初は道路に直接座ることに抵抗があったが、今の気分が後押しをしてくれた。
「私ね、今日友達と喧嘩をしたの」
 私は曇り空を見上げながら言った。どこか寂しそうな口調に心配しているのか、少女はそんな表情を作って私の顔を眺めていた。
 私は続けて内容を話した。淡々と告げるように。そして最後に馬鹿だよね、と自分自身を助けるような言葉を置いた。今思えばそんな自分は本当に馬鹿だった。
「あやまればいいじゃん」
 少女が笑いながら言った言葉は、その時の私にとって一番大切で、そして一番単純な方法だった。
「――そうよね……あやまればいいんだよね……」
 不思議な気分だった。先ほどまでは小さなプライドが邪魔をしてなかなかそんな気分になることはなかった。けれどその少女言われた、ただそれだけだったのに、邪魔をしていたプライドは存在しなかった。あやまろうと、素直に思うことができた。
 そんな沈んだ気持ちが伝わったのだろうか、静かな雨が降り始めた。先ほどまで曇り空だったため、あまり驚きはしなかった。
 私は鞄の中から折り畳み傘を取り出した。こんな時は、今日は雨が降るからと無理やり持たせてくれた母に感謝。そして傘を開くと、隣にいた少女は身をすくめていた。
「傘は持ってないの?」
「……忘れた」
 私は自分の傘に少女も入れようとした。折り畳み傘だったためそんなに広くはないが、寄り添えば二人くらい入らなくもない。
 けれど少女はそれを拒んだ、私に気を使ったのだろう。私は少し戸惑い、そして……傘を閉じた。
「じゃあ私も」
 少女は再び不思議そうに私を見た。濡れたい気分だった、それに嘘はないのだから別にいい。その時の雨は、涙を演出しているようだった。
「――そういえば、なんでこんなところにいるの?」
 誰でも思う疑問を、私は今頃した。少し頭の整理ができたおかげだろうか。
 すると少女は、躊躇することなく答えた。
「由井ね、お母さんを待っているんだ」
 自分を由井と呼んだその子の言葉は若干楽しそうに聞こえた。私もつられて微笑んだ。だからなのか、私は由井ちゃんの母親が迎えに来るまで付き合おうと思った。
 しばらく、二人は黙ったままだった。降り続ける雨によって冷えてきた体が震え出してくると、私は身を寄せてその寒さに耐えた。
「お母さん遅いね」
 先に口を開いたのは私だ。まるで我慢できなくなった子供のようだった。こんなの言うべきじゃなかった、辛いのは由井ちゃんの方なのに、わがまま言わず我慢している由井ちゃんの事を私は考えていなかった。
「どれくらい待ってるの?」
「……三年くらいかな」
 私の問いに、由井ちゃんは普通に答えた。嘘だと最初は思った、そんなことありえるわけがないから。けれど、隠すように寂しそうな表情を作っていた由井ちゃんを見る限り、それを嘘と思うことができなかった。
「でもね、由井待つの。お母さんが約束破ったことないもん」
 再び楽しそうな笑顔で、由井ちゃんは答えた。私はそんな由井ちゃんを見ていると、なぜか悲しい気持ちになってしまっていた。捨てられたのか、それとも……。
 頭の中で繰り返される嫌な連鎖を、私は雨の雫と一緒に流そうと必死だった。
 そして私と由井ちゃんは、再び沈黙の渦を作った。私は何をしゃべっていいのかわからなかったから……由井ちゃんは、何を考えていたのだろうか。
 ふと私は思った。なんでここにいるのだろうと。由井ちゃんの母親が帰ってくるまでと思った、けれどそれは……おそらく叶わない。
 日も暮れ始めていた。適当なこと言って家に帰ればよかった。でもできなかった。由井ちゃんが可哀想だからだとその時は思っていた。けれど私はそれとは別に虚脱感を感じていたことも確かだった。
 急に来る眠気、寝てはいけないと自分に言い聞かせても、眠気は一層強くなるばかりだった。
 寝てはいけない……寝ては……。

 気がついた時には、私は病室のベッドの上だった。横で眠っていた母は目を覚ました私に気づき、安堵の息を含んだ笑顔を見せた。
 私は高熱を出し、道端で倒れていたのだと、母から聞いた。ずっと雨に当たっていたせいだろうと自分でもわかる。そして私は不意に、由井ちゃんは?と訊いた。母はオウム返しのように訊き返してきた。何も知らないようだ。
 私はお母さんと会えたのだろうと思った。けれど心のどこかに残っていた不安は、私に訊く勇気を与えてくれた。
 三年前、この辺りで何かなかったかと。すると、五歳の女の子が車にひき逃げされた事件があったと、何気ない表情で母は言った。私は言葉を失った。その代わりに、雨のような涙が頬を流れる。
 怖かったという意識はなかった。けれど楽しい気持ちにも、うれしい気持ちにもなることはできなかった。
 しばらくして落ち着いてきたと思うと、私は母にその事件について詳しく聞いた。その子の母親は同じ日に違うところで発作を起こし、病院に運ばれて死んだのだと言っていた。
 正直覚悟していたとはいえ、それは衝撃の事実だった。だから私は迎えに行った。由井ちゃんのお母さんがいる墓標に。迎えに行ったと言えば変かもしれない。けれど私は由井ちゃんのお母さんの目の前で、迎えに行ってあげてと言った、場所も、由井ちゃんがずっと待っているということも。
 返事は返ってこない、当然だ。けれどありがとうと言われた気がした。
 それからしばらくした後、私は再びあの道を通った。あの笑顔に出会うためではなく、ただ通学路として。けれど私はあの場所で一度立ち止まった。手に持っていた花束を置き、涙を含んだ笑い顔で。
「私、ちゃんと仲直りできたよ」
 返事は返ってこない、もういないのだろうか、ちゃんと会えたのだろうか。
 そして私は最後に、こう言った。
「もう、ここには来ないね」
 この道は通学路だ、毎日通る。弱い自分を連れてここを通らない、そんな意味を込めて。
 私は足を動かした。学校へと行くため、学校へと続くこの道を。


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